彼女はとっとと逃げて、取り残された彼ピッピに指で挨拶。充実した青春を送っているようで何より(動画はこちら)。

茶トラ白の彼女は離れたところで様子を見ている。初めて外川を散歩した2013年9月にもここで茶トラ白に会ったから(こちら)、君はその子の子孫かも知れないね。

今日の記事は去年12月30日〜31日に出かけた外房猫旅の続き編。銚子編の3回目は前回に続いて外川で見かけた猫たちを紹介していく。
漁港に向かって急な坂道を少し下りると、広い太平洋と一緒に民家の敷地の白が見えてきた。

理知的な目つきの白。理知的なだけに、にこやかに呼んだぐらいでは反応しなかった。

しかし、近寄る間もなく逃亡。諦め切れずに元来た方を振り向くと、巡回中と思しき黒白が坂を上ってきた。

巡回中だけにほとんど止まらない。枯れ草に残る茶トラ白の残り香を嗅ぐと、再び坂道を上ってどこかへ行ってしまった。

なす術なく黒白のお尻を見送る俺を、大白斑のキジ白が眺めていた。

まだ若い黒三毛。写真では分かりにくいけど、ほとんど無尾に近い短尾で、しかも人懐っこい!

ごろごろすりすりが止まらない。いちゃつく様子とごろごろ音は動画をご確認ください。

尻尾はこんな感じでほぼ無尾。外房の猫は毛色が豊富なだけでなく、尻尾などの身体形状も色々なんだねえ。

うちのマコちゃんは鼻炎ぽくてごろごろ音が出ないので、猫にごろごろしてもらうのは生前のサチコやキジ白3号以来。この音を聞いて嬉しく感じるのも久しぶりで新鮮な感覚だった。
サチコといえば一昨日の夜も夢に現れたが、人間の記憶力というのは儚いもので、出てきたのは俺の目線で俯瞰する短い尻尾と黒い背中だけ。生前の写真や動画は売るほどあるし、このブログにも載せているが、辛いからといってしばらく見ないでいると、てきめんに記憶の中のサチコ像があやふやになってくる。記憶するという能力は、例えばあらゆる漢字や国字を自在に読み書きできるとか、円周率を数万桁も暗誦できるといった物差しで測られることが多いが、そういう人たちは、亡くした家族を何年経っても正確に描いたり、頭の中で像に結ぶことができるんだろうか。
写真がなかった昔の人は、大切な人の姿形をあっという間に忘れていく自分に驚き、戸惑ったと思う。去年の夏、村田町で見た様々な猫絵や猫像は、愛する我が猫を記憶に繋ぎ止めておこうとする、当時の人々の必死の抵抗だったのではないだろうか。
銚子散歩は最終回に続く。次回の冒頭もこの子から。



























