これからしばらく最高気温20℃以上の日が続くようなので、いちばん小さな4号鉢に猫草の種を蒔いた。アンダーコートの乏しいマコちゃんはサチコに比べると抜け毛が遥かに少ないので、毛を吐き戻すという目的で猫草を与える必要はないのだが、出せば喜んでむしゃむしゃ食べるので精神的な何かを満たす作用はあるのだろう。少しでも太らせたいこちらとしては、せっかく食べたものを吐き出されるのはもったいないと感じるが、もうすぐ17歳(人間換算84歳)という年齢からすれば、精神的充足に重きを置く接し方が良いのかなと考えている。
猫草を蒔いたのと同じ日にサチコの写真を机の上に置いた。Macの写真アプリを開けば写真も動画もゴマンと出てくるし、そもそもSNSなどのWebサービスのプロフィール写真がサチコなので、今さらというところもあるのだが、自分から能動的に写真を開いて見入るということがなかなかできなかった。写真立てはSeriaで見つけた数センチ角の小さなもので、風の匂いを嗅いでいるようなぽかんとした表情のサチコが収まっている。その夜の夢に早速出てくるくらいなので、死亡直前の写真や動画を直視するのはまだちょっと悲しくて無理かも知れない。サチコのいない世界がもう10ヶ月も続いていることに現実味がなくて、マコちゃんをサチコと呼び間違えることもたびたびある。
台湾猫旅を紹介する連載の3回目は、定番の散歩地である基隆市の暖暖から。初めてこの地を訪れたのは2014年のクリスマスイブで、もともと予定した場所ではなく、九份から金瓜石、八斗子と散歩したのち、帰国の飛行機まで少し時間があったので、どこか近場でもう一箇所と思い、タクシーで乗りつけたのが暖暖駅だった。風変わりな地名だからという理由で選んだ暖暖は、その時点においては瑞芳に並ぶ猫の巣窟で、台湾を訪れる際には必ず立ち寄るようになってもう10年以上が経つ。どちらの街も当時からのメンバーは残っておらず、高台の平場に佇むキジ渦白も、毛色に見覚えはあってもやはり去年見かけたのとは違う初めてさんだ。

こちらは渦巻きのように軽率ではなく、指で挨拶することには成功したものの、警戒心が強くて触ることはムズカシイ(動画あり)。

対照的な2匹。母と息子と考えれば何となくしっくりくる関係性だけど、まあ分からんねえ。

山の斜面に展開する小さな住宅街を抜けると、行く手に猫が見えてきた。

苔むした黒い屋根は油毛氈と呼ばれるもので、厚手の繊維に防水用のアスファルトを塗布した屋根材が使われている。雨が多く湿度の高い台湾東北部では補修の容易な「油毛氈葺き」の屋根がよく見られる。

貫録のあるキジトラも、毛色が紛れる背景としてこの屋根を重宝しているようだ。

一方こちらも台湾ではよく見られるなんちゃって瓦屋根(と猫)。

気配を察して目を覚ました。この凸凹が体にフィットしているみたいね。

細い路地の行き止まりから元来た方へ戻っていると、台湾名物「スクーターと猫」に遭遇した。

前回の記事でも触れた通り、この子は2年ぶり2回目。むしろ今回の方が若返って見えるのは、親切な人に巡り合えたからかも。

暖暖市街を抜けて東勢坑溪を上流に分け入ると、かつてそこには荖寮坑と呼ばれる清朝時代からの古い炭鉱があり、掘り出された石炭は人力台車で暖暖市街まで運ばれ、そこから水運で基隆河を下って大稲埕へと至った。基隆河というのは「基隆」を名乗ってはいるが、基隆港の入り江に注いでいるわけではなく、最終的には社子島(台北市士林区)の先で淡水河に合流する。暖暖と基隆港は獅球嶺という標高155mの丘に隔てられており、この丘は分水嶺なので水は向こう側へ流れていかないのである。なので何度も訪れているにもかかわらず、ここが基隆だという実感はなかなか湧いてこない。たまに通る市営バスのボディに基隆市公車と書かれていて、「そういえば」と思い出す程度のものだ。
俺は廃線オタクでもあるので、人力台車のへろへろ線路、どこを通っていたのか気になるなあ。

「那條台車軌道的痕跡、就是你剛才走過的路(台車の線路跡なら、君がさっき通った道だよ)」

帰国してから1921年発行の1/25,000地図を見たところ、当時は暖暖渓と呼ばれた現在の基隆河支流に至る線路が敷かれていたようだ。さっきキジトラがいた油毛氈葺きの家の前あたりを通っていたらしいが、1920年代には閉山したそうなので、痕跡を辿るのは困難だろう。

台湾東北部に集中していた数多の炭鉱は、石油へのエネルギー転換や安価な輸入石炭に押され、1990年ごろまでには大部分が閉山した。基隆炭鉱や友蚋炭鉱(五堵の北にあった炭鉱)は日本にも調査している人がいるようだが、それ以外となるとなかなか資料が見つからない。菁桐や猴硐のように遺構や資料が残されているケースは台湾でもそう多くない。ましてや鉄道も都市間バスも廃止された日本の夕張で「夕張市石炭博物館」が稼働しているのは奇跡に近いことなのかも知れない。彼の地の猫たちは元気にしているだろうか。
……などと遠く離れた北海道のことを思い出していると、いつの間にか目前に猫が座っているではないか。

カメラを構えているうちに、どこからかもう1匹駆け寄ってきた。ここって時々こういう積極的なのが出てくるなー。

スクーターを嗅ぎ回っている。ここはたくさんの猫が暮らしているので、縄張りが錯綜しているのだろう。

そしてこの日最後のキジ白は、一昨年の3月にも同じ場所で歓迎してくれた子だった。道理で人懐っこいと思った。
3月22日、台湾猫旅の初日はこのようにして終わり、見つけた猫は基隆市七堵区で8匹、暖暖区で20匹の計28匹という結果だった。このあと俺はコインロッカーに預けたリュックを取りに七堵駅へ戻り、すぐに反対方向の電車に乗ってこの日の宿泊地である瑞芳へと向かった。瑞芳に泊まることはそう多くないが、泊まるとなれば利用するのは民生街の清芳民宿と決めている。17時半すぎに到着してみると、去年来た時から始まっていた駅舎の改築工事がまだ続いていて、駅前の屋根の上で暮らしていた茶白ファミリーが姿を消しているのは分かっていたが、駅猫たちの面倒を見ていた文具屋も店を畳んだらしく、建物には「租」の貼り紙がしてあって人の気配も消えていた。駅前にはもはや1匹の猫もいなかった。


























