馬公市というのは離島にも関わらず古くから先進都市だったようで、元朝時代から行政機構が置かれていたことは前回の記事にも書いたが、日本統治時代には軍都として各種の都市インフラが整備された。当時の馬公に住んでいた湾生(台湾で生まれ終戦後に引き揚げた日本人)の述懐によれば、馬公の市街地には水道やガスが整備され近代的な都市生活を送っていたが、終戦後に引き揚げた菊池(熊本県)の郊外にはそのどちらもなく、井戸から水を汲み竃で薪を焚く生活になったとある。ガスは現在普及している液化石油ガスや天然ガスではなく、石炭ガスを低圧のガス管で各戸に供給する都市ガスだったと思うが、現代の日本でも少し田舎に行けばプロパンガスしか選択肢がないのに、1940年代の離島に都市ガスがあったとは驚きだ。
その先進都市・馬公の旧市街地は「中央老街」あるいは「澎湖第一街」と呼ばれ、歴史的建造物が観光資源になったり、あるものは未だに現役で使われるなどしている。一方、港の東側には大案山や文澳といった小さな集落があるだけで、それらが本格的に発展したのは戦後になってからのようだ。現地を歩いていても、猫密度が高く感じられるのは古くからの集落内がほとんどで、それから少しでも外れると、街並みは立派でも猫の姿はあまり見られない。厄介なのはそれぞれの古い集落が離れていることで、それらをハシゴしようとすると翌朝では時間が足りないし、17時近い今もだいぶ日が傾いており、急がないと写真を撮るのは厳しくなりそうだった。

文學路と称するこの辺り、日本時代は完全に海で、埋め立てられたのは1980年代のようだから、そりゃ猫が少ないわけだよな。花蓮や台東の新駅と似たようなものだな。

文澳という古い集落に差しかかって次の猫グループに遭遇。あれは母子か兄妹か。

カメラを向けると引っ込んでしまって出てこない。黒白はこちらに興味があるようだね。

きれいな毛並みのサビを何とかアップで1枚。馬公というのは歴史ある先進都市だけあって、住んでいる人々の生き物に対する意識が高い印象。

17時半近くになっていよいよ日が傾いてきた。猫たちにとっては今からが活動タイムだけど、写真は撮りにくくなってきた……。

北回帰線に近い馬公とはいえ、日没まで50分ともなるとさすがに日陰。コンクリートの地面は冷たくて気持ち良さそうだね。

「是很舒服沒錯啦、不過你哪位啊?(気持ちはいいけど、君は誰?)」

最初に散歩した大案山から今夜の宿までは直線距離で1.3kmしか離れていないのに、港湾を迂回する形になるので4km近くも歩かなければならない。夕闇迫る馬公の街は次第に猫影が濃くなっているようで、朝から歩いて棒のようになった足を引きずりながら宿へ向かっていると、ダメ押しのように出てきてくれる。

プスプス言って気を引いたら鳴き声が止まらなくなった。期待させちゃったかしら。

朝の猫たちはご飯待ちで集中しているけど、夕方の猫たちは何となくまったりした風情で距離を保っている。探せばもっと見つかるだろうとは思うものの、もう明るさ的にも体力的にも限界。

マーメイド的に寛ぐ霜降りさん。この日の猫はこの子たちで終了。

宿には18時ちょうどに辿り着き、日が暮れてから近所のコインランドリーに行ってみると、その短い道中にも空き地や路地を徘徊する何匹かの猫に遭遇した。泊まったのは和田大飯店と称する古めのホテルで、agodaで1ヶ月前に予約して5,712円。当初は日本統治時代の1923年に開業したという中央旅社(松屋旅館)に泊まるつもりだったが、和田大飯店の3倍近い宿泊料には見合わないと思ってやめた。未曾有の円安と台湾の物価高が真綿のように財布を締めつけてくる。
猫旅3日目(3月24日)はこのようにして終わった。七美嶼から始まった強い日差しに加えて、片方向の散歩が続いたため背中のリュックの重さにも苛まれ、この日はかなり消耗した。猫の集計は高雄市鼓山区で7匹、澎湖県七美郷で12匹、馬公市で18匹の計37匹だった。以前も書いたように、この日の散歩で台湾全県コンプリートと相成った。
次回の記事からは猫旅4日目が始まる。まずは馬公中央老街を中心とする旧市街地で見かけた猫たちを紹介する予定。






























