きれいな鉢割れ黒白。濡れ縁の近くを嗅ぎ回っていたが、警戒中のマコちゃんの遠吠えに驚いて逃げてしまった。
今日の散歩は夕方から。関東各地は不安定な天気で、局地的に激しい雷雨になっていたようだが、俺自身は一滴の雨も見なかった。最初、某巨大神社下のキジ白マダムのご機嫌伺いに行ってみたが、あいにく不在で、バスに乗って富士見町へ移動。夕闇迫る住宅街を立川駅まで歩くことにした。
1匹目は民家の庭に佇立する三毛。
ここへは暑くなってから二度ほど訪れたが、いつも奥の方で伸びていて、撮影は断念していた。今日は三度目の正直ってやつ。
もうだいぶ暑さは和らいだと思うんだが、ああいう風体のがまだいる。
茶猫タウンの細い路地。日没が近くなって猫たちが活発化してきた。
「待ってくれー」と敷地を覗いたら、そこには黒白ではなく茶トラ白がいた。
路地の奥から順に帳が降りる時間になった。短い散歩はこれでおしまい。
迎え火の今日、夕暮れの街なかを歩いていると、戸口や道端で小さな篝火を焚く光景がちらほらと見られた。猫散歩を始めるまで、俺はこの風習を見たことがなく、道端に残る燃えかすを不審にさえ思っていた。5年前、猫を探して迷い込んだ路地の奥さんに、これは何かの儀式なのかと聞くと、お盆に死者を迎える火なのだと教えてくれた。俺が育った家のお盆は8月で、仏壇の電灯を点したままにしておくのが習わしだった。これは必ずしも北海道のやり方というわけではなく、明治以降に全国各地から入植してできた街が多いために、お盆など古い祭礼の時期や催し方は地域ごとにだいぶ異なっていた。川一本隔てた向こう側が新暦で、こちら側が旧暦ということも珍しくなく、橋を渡って年に二回の夏祭りを楽しむ子供もいた。
道端の燃えかすがお盆の儀式と知ったその日、仕事帰りに立ち寄った某巨大神社の近くで、茶白みーちゃんが家族と一緒に迎え火を眺めていた。7月とはいえ19時を過ぎるとかなり暗く、まん丸になったみーちゃんの瞳に炎が揺れて映る様はとても神秘的だった。
翌年もその次の年も、迎え火の夜になると、みーちゃんの家を訪ねた。俺は猫の写真を撮り続けているので、その光景をカメラに収めたいと思わないでもなかったが、死者の弔いという極めてプライベートな儀式に割って入ることがためらわれて、いつも草葉の陰で眺めるばかりだった。そうこうしているうちにみーちゃんは死んでしまい、そんな写真を撮る機会は永遠に失われた。みーちゃんはもはや迎え火を眺める猫ではなく、迎え火に誘われてこの世に舞い戻る猫になった。お盆の始まりの今ごろは、一年ぶりにあの家へ戻り、縁側で伸びているだろうか。懐かしい家族の匂いを嗅いで、ごろごろと喉を鳴らしているだろうか。