ようやく秋らしい気温になってきたので、今日はマコちゃんを台車に乗せて近所を一回りしてきた。大人しいサチコと違って落ち着きのないマコちゃんの散歩は常にリードをつけているが、久しぶりに外に出てみると予想以上に体力が落ちていて、5月のサチコよりも覚束ない足運びを見て軽くショックを受けた。途中、武蔵邸の奥さんとベランダ越しに話したところによると、武蔵とクロエさんはやはりこの夏を部屋の中で過ごしていたそうで、最近ようやく涼しくなってきたので外に出せるようになったとのこと。武蔵は11歳、クロエさんは9歳とのことで、マコちゃんに比べれば若いとはいえ、人間換算でそれぞれ60歳と52歳だから俺と同じぐらいの世代だ。自分の体力的な衰えを顧みれば、どちらにとってもこの夏は厳しかったのだろう。
今日紹介するのは先週の日曜日(21日)に銀塩フィルムで撮影した猫たち。冷蔵庫に置きっ放しだったのは、富士フイルムのSuperia X-TRA 400という36枚撮りのカラーネガフィルムで、2024年4月に発売終了になったらしいので恐らく今は手に入らない。ちなみにこのブログでは過去に一度だけ銀塩で撮った猫たちを紹介したことがあり(こちら)、その時に使ったのはPENTAX SVという父が大学時代に買った1962年製のカメラで、フォーカスどころか露出までマニュアルだったので失敗が多かった。一方、今回はPENTAX Super Aという1983年製のカメラで、マルチモードAEを搭載しているので露出の決定はSVよりも遥かに楽だ。レンズはsmc PENTAX-A 50mm F1.7とsmc PENTAX-A 135mm F2.8の2本で、手ブレ補正などという機能はないので撮影は緊張した(そしてブレた)。
1匹目はとある猫寺(昨日の猫寺とは別)で発見。レンズを付け替えたり、フィルムの巻き上げを忘れたり、うだうだやっているうちに車の下に飛び下りてしまった。
涼しくなってきたからか、猫峠の猫たちは活発に動き回っている。
車の下も盛況だったけど(一例)、画角的に合わないので諦めた。
黒は銀塩で撮ってもムズカシイ。印画紙に焼き付ける場合は、黒い厚紙を猫型にくりぬいて、黒猫の部分を周囲よりも余計に露光する「覆い焼き」という技法で補正する(Photoshopの覆い焼きはそれをデジタル化したもの)。高校時代は暗室に籠ってそんなことばかりしていたなー。
フィルムの感度が低いと思って晴れている日を選んだが、シャッタースピードは1/2000までなので絞らなければならず、単焦点レンズ特有のふんわりとしたボケ味は出せない。昔はISO25や64といったフィルムもあったので、選択肢が狭まった今はこういうところが不便なのだなと思う。
定点の猫アパートを覗いてみると、馴染の黒白がお昼寝していた。
ガシャガシャとうるさいシャッター音で目を覚まし、相手が俺と知ると籠から飛び出してきた。
同じ猫でもデジタルカメラの方が当然くっきりはっきり写るわけで、わざわざ1コマあたり何百円ものコストをかけて銀塩を選ぶ理由はないように思えるが、それでも熱心な愛好者がいるのは、このぼんやりした写りが人間の記憶の残像に近いからなのかも知れない。
こちらは揺れる想いの駐車場。定位置で伸びているのが見えるかな。
いつもはちゃっちゃっと連写して風のように去っていくのに、この日はああでもないこうでもないと時間がかかっているので不審そうにしている。どうしてもフィルムの巻き上げを忘れちゃうんだよねー。
揺れる想いも警戒して近寄ってこない。仕方ないので135mmのレンズで撮ったらブレてしまった。
散歩を終えて久地から南武線の電車に乗り、そのまま立川で青梅線に乗り換え。この日はキジ白3号の消息を尋ねて拝島に寄ったのだった。
キジ白3号が姿を消したのは先日の記事に書いた通り。こういうことに関して、俺は自分の目で確認しないと気が済まない性分なので、次の休みにでももう一度探しに行って、それでも見つからなければ自分の中で踏ん切りをつけるつもりだ。拝島で見かけた唯一の猫は色被りがひどかったので、最後の写真だけテスト的にPhotoshopで色補正してみた。
久しぶりにフィルムで撮った感想は、基本的に一発勝負なので、猫が相手ではシャッターチャンスを逃しがちということ。そしてもっと絞りを開けたいという欲求が強かったので、天気に合わせてフィルムの感度を選ぶ必要性を感じた。とはいえ現在入手可能な最も感度の低いフィルムはISO100なので、明るすぎる場合は減感するかNDフィルターを付けることになる。どちらにしても費用のかかることなので、やはり銀塩猫写真は貴族の趣味だなあというのがいちばんの感想。