今日は訃報を二つも書かなければならない。先月14日に弱々しい姿を見かけたのが最後になったキジ白3号は、1週間ほど前、隣家の敷地で亡骸となって見つかったとのこと。
いくつかの用事をかけ持ちで済ませるため、今日は朝から出かけてお昼前に帰宅したが、その中にはキジ白3号の消息を確認することも含まれていた。立川市内で散歩を済ませたあと、先々週と同じように拝島駅近くの縄張りを回ってみたもののやはり姿は見えず、諦めて駅に戻る道すがら、もう一度家の前を通ったところへちょうど主人が出てきて会話することができた。亡骸が見つかったと教えられ、感情が胸に込み上げて詳しい話はできなかったが、15年以上も面倒を見ていた家なので、きっと手厚く弔ってもらったものと思う。
もう一つの訃報は、キジ白3号と同じ2011年組で、国分寺市の外れの緑道で暮らしていたゴメン顔の茶トラ白だ。知り合った当初から人懐っこくて天真爛漫な子だったが、タイミングを逸してしまい仮の名前はつけていなかった。駅からかなり離れた場所ということもあって、頻繁に訪れることはできなかったが、ブログを日次更新していたころは季節ごとに年4回ぐらいの割合で会いに行っていた(動画あり)。俺のことをよく覚えていてくれて、最後の逢瀬となった7月12日などは1年ぶりだったにもかかわらず、舌を鳴らしただけで遠くから駆け寄ってきたものだった。面倒を見ていた家の奥さんがたまたま玄関先に出てきたので消息を尋ねたところ、東京一帯がゲリラ豪雨だった先月11日の午後、雨降る中で息を引き取ったと教えてくれた。
あまりにも厳しい夏だったからなのか、それとも猫散歩を始めてから14年という今がそういう時期なのか、訃報が二つも重なった上にサチコのことまで思い出して、自転車を漕ぎながら涙を堪えることができなかった。ゴメン顔はサチコと同じ慈恵院の合同供養塔に入ったそうだから、きっと一緒に遊んでもらえると思う。
時刻は7時ちょうど。朝ご飯待ちの黒が猫民家の玄関先に張り付いていた。
こちらに気づくと一声だけ「にゃあ」と鳴いたが、俺が手ぶらと知るとそれきり無言になった。現金なヤツめ。
ゴメン顔不在の緑道には相方の黒が取り残されたように佇んでいた。
訃報を知るまで心配していたのはむしろこいつで、去年5月を最後に姿を見ていなかった。くたびれ具合はあの子の方が上回っていたけれど。
この家の奥さんによれば、2匹とも2009年ごろにどこからか突然現れたのだそう。キジ白3号も2009年が初めてだったから、外猫というのは長生きしてもせいぜい17〜18年ぐらいということなのだろう。
今日のコースは西国立〜立川を大回りで。ゴメン顔の訃報に触れたあと、次に見かけたのは寝坊助のキジ白だった。
プスプス言ったら反応したけど寝ぼけ眼。……と思ったけど、4月に見かけた時も寝ぼけ眼だった。こういう顔なのね。
土曜日だからか上矢印邸は朝食が始まらない。待ちくたびれた2匹が「まだかー」と鳴いて訴えていた。
朝は奥の方で寝ていることが多いのに(一例)、今日は珍しく活発だね。
そしていつものように仲睦まじい。この子たちはセットで好きだなあ。
上矢印ちゃんは以前より目力が強くなったみたい。健康でいてくれると嬉しいね。
立川で自転車を返却したあとは青梅線で拝島へ移動。馴染の灰白が久しぶりにカメラに収まった。
相手が俺と分かるとすぐに向こうを向いてしまうので、このような撮影順序になっている。
このあとキジ白3号邸の主人と行き合って話を聞き、拝島から武蔵小金井を経由して慈恵院へ。サチコをお参りするつもりがゴメン顔の分まで手を合わせることになり、打ちひしがれてしおれたネギの風体で帰宅したのだった。先月まで7匹だった2011年組は5匹になり、残っている猫も高齢なので、そう遠くないうちにまた別れの日を迎えることになるだろう。
当初は今日の記事でマコちゃんの基底細胞癌(腫)についても触れるつもりだったが、長くなるのもアレなので後日に回す。結論だけ書いておくと、当面は経過観察だけに留めて外科治療は行わないことにした。鼻腔内リンパ腫とは無関係。一昨日の通院レポートは「マコの鼻腔内リンパ腫治療記録」に追記するが、録音の文字起こしがまだ終わらないので明日になると思う。