秋の深まった猫温泉は明け方の気温が6℃まで下がった上に、夜半から降り出した雨は強くなる一方で、泉温32℃のぬる湯に浸かって夜更かししたら本格的に風邪を引いてしまった。旅の2日目は福島県全域が雨で、それから逃れるには関東方面へ南下するほかなく、予定していた信夫山の散歩は断念して、新幹線を途中下車して宇都宮みんみんの餃子を食べた(美味しかった)。
宇都宮は雨が上がって青空も見えており、市内を猫散歩することも考えたが、無闇に小一時間歩き回って見つけられるほど知った街ではない。東武宇都宮線に乗っておもちゃのまち(という名の街)に行ってみたいとも思ったが、同線には速達列車がなく、帰宅が遅くなってしまうのでこれも諦めた。結局宇都宮では餃子を食べただけで、14:35発の湘南新宿ラインに乗り、グリーン車でおやつを食べたりうたた寝しながらまったりと帰ってきた。
猫の方は1日目に会津若松市内で会えたのが何匹かいるが、今月20日と23日の散歩で見かけた猫たちが出番を待っているので、掲載はそのあとになる。今日は20日の奥多摩散歩の最終回ということで、猫集落を辞去する際にカメラに収めた数匹から紹介していく。
下の段の奥さんによれば、現在猫集落で暮らす猫は16匹だそうだが、この日会えたのはそのうちの5匹。待っていてもいつ出てくるか分からないので、また日を改めて挑戦することにした。
今日は町内でもう一箇所寄り道したいので、少し早いけどこれで失礼するよ。
この黒白は尻尾がとても短い。恐らく7~8年前に上の段で暮らしていたキジ白(こちら)の血を引いているものと思うが、この形質を引き継ぐ子孫はもう生まれてこない。地球上に猫という動物が発生してから、気が遠くなるほどの時間をかけて形作られた系統樹の枝葉が、無造作に刈り取られていく。
9:40ごろ猫集落をあとにして、次の目的地である留浦へ向けて車を走らせた。
東京都西多摩郡奥多摩町という一つの町が、1954年3月までは氷川町、古里村、小河内村に分かれていたことは初回の記事で触れた通り。三つの旧町村は険しい山肌に遮られており、中でもとりわけ寂れているのが猫集落のある旧氷川町日原だ。歴史的には秩父との繋がりがあったものの、現在その往還は消滅して自然に還っており、日原街道は最奥の鍾乳洞で行き止まりなので里から文明が入ってこない。一方の旧古里村や旧小河内村は青梅街道の途上にあり、甲府や大月へ抜けられるので、日原に比べると人や物の流れは圧倒的だ。猫もそれなりに生息しているものと思われるが、これまでに二度そちら方面を探索したものの見つけられたことはなかった。
日原と留浦を直接結ぶ道は存在せず、行き来するには氷川を経由して20kmも走らなければならない。途中で車を止めて休憩していると、傍らの小さな平場に猫がいることに気づいた。
毛繕いの途中で固まってしまった長毛キジ白。気にせず続けてくださいな。
留浦への道中、一軒の猫民家を発見。曲がりくねった山道を運転しながらよく気づいたものだと自分でも思う。
こんにちは、私は里から登ってきた猫好きです。記念に写真を撮らせてくださいな。
びっくりしたような表情が個性的なキジ白。留浦の旧集落は小河内ダム建設により水没したエリアが多いので、もしかしたらこの子は湖底に沈む村で暮らしていた猫の末裔かも。
奥多摩の帰り道は山腹トリオの駐車場で小休止。トリオを構成していた3匹はもう見ないが、最近ここには若い猫が出没する。
初めて見かけたのは今年3月。当時すでに子猫という感じではなかったけど、見た感じ2〜3歳くらいかなあ。
かつて山腹トリオのお立ち台だったベンチは、爪研ぎの傷だけがその名残を表している。往時を懐かしんでその風景を眺めていると、茂みからこちらを見返しているのがいた。
目線が逸れた。警戒しているのは俺に対してだけではないらしい。
太くなった尻尾を下げたまま、若い黒白はその場から退散した。カップル不成立でニンゲンのおじさんも残念だよ……。