一時は年中行事と化していた台湾猫旅だったが、2019年12月に始まった新型コロナウイルス感染症の拡大により、台湾どころか日本を出国することすらままならなくなった。俺が最後に渡台したのは2019年11月、武漢で新型コロナウイルスの発生が確認される直前であり、まさかその後、世界的なパンデミックに見舞われるなど想像もできないことだった。今回の出来事により人類が学ぶことは多かったと思うが、にもかかわらずまだ完全に終息していないうちから感染予防に対する非科学的言説が流布され、人々の間に分断が生じているのを見て、いずれまた必ず同じことが起きるだろうと悟った。生物の態様というのは進化においてのみ変化するのであって、人類がいくら学習したところで全体的な進歩には繋がらないことを思い知った。
従前とほぼ同じレベルで台湾への渡航が許されるようになった去年9月、早速俺は休暇取得の交渉に入り、難産の末、何とか今回の7連休をもぎ取った。過去最長となる5泊6日(3月19日〜3月24日)の旅程を組んだのは、体力の衰えによって今後も同じことを続けられる自信がないことも理由の一つだが、それ以前に今回の猫旅自体、関節痛や偏頭痛で予定通り行かないのではないかと恐れていたりもする。
この記事が予約投稿で公開される19時(台湾時間18時)ごろ、俺は最初の宿泊地である烈嶼の民宿へ向かう路線バスの車中にいるはずだ。烈嶼というのは金門県に属する小さな島で、現地では別名「小金門」、隣の金門島を「大金門」と親子のように呼んでいる。台湾本島から200kmも離れている一方、中国の廈門とは数kmと目と鼻の先の距離で、かつては国共内戦の防衛最前線として厳しい軍事態勢が敷かれていた。現時点では表向き緊張が緩和されており、金門県全体の観光地化が進んでいるので、今のうちに閩南建築など独自の文化や現地の猫に触れておこうと思った次第だ。
さて、5回に渡って紹介してきた会津猫旅は今日がようやく最終回(前回の記事はこちら)。猫旅3日目となる2月12日の昼下がり、たくさんの猫たちと戯れた駐車場から先へ進むため、後ろ髪を引かれつつ最後のお別れをしているところ。
猫たちは一定の距離を置いて周りを取り囲んでいる。これはなかなか出発しにくい……。
いつまで猫探しを続けられるか分からないけど、これほど歓迎してもらったんじゃ、また来ないわけにはいかないなあ。会津の夏はずいぶん蒸し暑いそうだから、来るとしたらまた冬かなあ。
うちのマコちゃんと同じ毛色の可愛い子。また会う日まで元気でいてね。
こちらは室外機の面々。来た時とはメンバーが入れ替わっていた。
再び歩き出したのは12:45。去年も一昨年も行った老夫婦のラーメン屋は15:00で店仕舞いなので、まずは先にそこで腹ごしらえを済ませ、バスタ新宿行きの高速バスが発車する16:00までが散歩の後半戦となる。しかし思い思いの場所で寛ぐ猫たちはなかなか先へ行かせてくれない。
保護色を狙っていたのかも知れないけど、ちょっと色味が違っているね。
起き上がった麦わらの視線は俺の背後に向いている。駐車場から三毛ちゃんがついてきたのだった。
そしてここから後半戦。食事を終えて馬場町のラーメン屋をスタートしたのは13時半だったが、午前中よく晴れていた空には一転して厚い雲がかかり、暗い曇り空の下を歩くことになった。幸いだったのは山沿いに差しかかって上り坂になり、体が火照って寒さを感じなかったことだが、お昼までの盛況を考えれば猫影は限りなく薄かった。
後半のスタートから30分経ってようやく見つけた三毛もこの様子。猫って田舎に行けば行くほど愛想なくなるよな。
墓地へ逃げ込んで膠着状態に陥った。これ以上粘ってもどうにもならないので断念。
散歩後半は市街地のラーメン屋から南東方向へ1時間15分ほど歩いて終了。まだ14時台だというのに暗くなる一方なので、ちょうどやって来た観光用の巡回バスで会津若松駅へ戻ることにした。一つだけ空いていた座席にありついて、さっき歩いたばかりの歩道を車窓から眺めていると、民家の軒下にちょこなんとする物体を発見! ピンポンダッシュかまして現場に戻ってみると、果たして茶色いのがちんまりしてこちらを眺めているではないか。
リボンを付けているのでこの家の飼い猫だろう。まだ時間が余っているのでちょうど良かったよー。
思いがけずバスを乗り捨てることになってしまい、次のが来るまでその辺をぶらぶらしていると、さらにダメ押しの1匹を発見。こんな冴えない天気でも見つかるのだから、晴れていたらもっとたくさん会えたのだろうな。
まあでも今回の猫旅はとても良かった。念願の只見線を堪能できたし人懐っこい子にも会えた。
会津猫旅は武家屋敷近くのクリーム白で終了。今度こそ駅に戻り、16:00発の高速バスで帰途についたのだった。それにしても、あまり遠くに知り合いを増やすと今後が大変だな……。