10年も前のニュースをネタに記事を書くのは不勉強すぎて汗顔の至りだが、元ネタが新華社なので触れる機会がなかった(こちら)。珍しくタイトルを簡体字にしたのもこのニュースに因んでのことだ。
イエネコのルーツはリビアヤマネコで、人類と共生するようになったのは9,500年前ごろからとされている。その根拠になっているのは2004年、キプロス島のシルロカンボス遺跡で、人間と共に埋葬された猫の骨が発見されたことだ。ただここで見つかった骨の主が本当に家畜化されていたかは議論の余地があるようで、単に一緒に埋まっていただけでは人間が一方的に偏愛していたのかも知れないし、何かの生贄だった可能性もあるということだろう。リビアヤマネコとイエネコの遺伝的な構成に大きな違いはないので、この情報だけではそれ以上のことは断定できない。
一方、新華社の記事に書かれていたのは、陝西省の泉護村遺跡で発見されたという5,300年前の猫の骨について。当時この地域ではアワを中心とした作物を栽培しており、人間だけでなく飼い犬や豚やネズミまでがそうした穀類を食べていた。見つかった猫の骨を分析したところ、1匹はネズミを捕食する「肉食系」の食事を取っていたが、もう1匹はキビを中心とした「穀物系」の食事を取っており、しかも高齢で死亡していたことが分かった。つまりこの猫は人間の貴重な食料の一部を分け与えられ、それなりに大切にされていたと考えられるのである。食べ残しの穀類を猫に与えるというのは、我が国でもつい最近まで(あるいは今でも)猫まんまという形で行われており、シルロカンボス遺跡のケースよりもさらに猫と人との距離が縮まっているように感じる。
我が国に猫が伝わったのは1,200~2,000年前、中国から持ち込まれた経典を鼠害から守るためと考えられているが、遅くとも5,300年前には餌を与えられ大切にされていた中国の猫が、隣の日本へ伝わるのにそれほど時間がかかるものだろうか。庶民にとっては経典よりも穀物の方が大切であり、その栽培法が我が国に伝わる際、ネズミ避けになる猫とセットで渡来したと考えるのが自然ではないだろうか。1月に郡山くんだりまで見に行ったネコ形土製品は縄文時代中期~晩期(3,000~5,000年前)の製作とされ、所蔵する郡山市教育委員会によれば「猫かどうかは分からない」そうだが、時期的に我が国で農耕が始まったころでもあり、これが猫である可能性は高まったのではないだろうか。
今日の猫関係業務は中神~立川をシェアサイクルで移動した。久しぶりにエビ子に会いたくて選んだコースだが、今はこの近所もだいぶ猫が減ってエビ邸が浮いてしまい、ほかの猫拠点と徒歩で結ぶのが難しくなってきている。加えて青梅線沿線はシェアサイクルのステーションが少なく、それほど頑張るつもりはなかったものの立川まで漕ぎ続けるしかなかったという次第。なお肝腎のエビ子はどこかに隠れてお昼寝していたのか、会うことは叶わなかった。
最初の猫は砂利の駐車場の2匹。
手前の霜降りは9月下旬にも会ったばかり。両津勘吉の繋がり眉毛みたいなM字ラインが個性的。
失礼な人間を睨むキジトラ。いやだってあのM字ラインは霜降りの特徴だし。
バレてはいるけど頑なに目を開けない。こうしてみるとペルシャ顔の血が混じっているようだね(ご尊顔)。
呼び止めて公式写真風に1枚。これが俺の猫写真の理想形。毛色や体の形状を記録するのも大切な目的だからね。
引っくり返してもう1枚。何が起きているのかよく分かっていない顔つき。
灰色の熟女・青2号(故人)の路地を覗いてみると、ボンネットの上で寛ぐ黒白を発見。ここで猫を見るのも久しぶり。
裏へ回って接近を図るもこれが精一杯。減ったようでもまだまだいるんだなあ、ここ。
黒白は動こうとしない。毛色的に落ち着く組み合わせなのかしら。
立川市内に入って見かけたのは1匹に留まった。茶猫タウン南なのでやっぱり茶猫。
8月中旬以来の3ヶ月ぶり。暑い夏を乗り切って毛並みが良くなっているね。
最初に会ったのは2012年6月だから衰えは隠せないけど、そこはお互い様。俺も自転車でここに来るなんて初めてだし、電動アシスト付きなのにもう疲れている。今度は寒い冬を乗り切らなきゃなあ。