10月の伊豆諸島猫旅で八丈島の猫たちに会った際、毛色や尻尾に特定の傾向が見られることが分かり、それらは離島という隔絶された環境で祖先から脈々と受け継がれた形質なのではないかと想像している。とりわけ八丈島と青ヶ島は人間の生活や文化の面でもほかの島々と違っていて、その代表的な一つとして挙げられるのは特殊な方言だ。八丈島の記事を書くにあたって少し調べたところ、八丈語とも呼ぶべきこの方言は我が国のどの地域とも異なり、上代東国方言を含む古代日本語の文法的特徴を色濃く残しているそうだ。このブログの過去の記事に書いたように、世界の言語(語族)と遺伝子の分布には密接な関係があって、俺は猫の毛色にもそれらとの結びつきがあるのではないかと疑っている。八丈島と青ヶ島の言語がほかの島と異なるのは黒潮で分断されているからで、これは本土で言えば峠や河川で分断されているのと同じことだ。交通機関の発達していない昔、閉ざされた環境下で言語などの生活文化がそれぞれの地域で発展したのと同様に、そこで交配を重ねる猫の毛色も特定の傾向を持つようになったのではないか、という想像レベルの話である。
俺の父は生前、趣味でアイヌ語の語彙収集をしていて、時間を見つけては浦河や平取などのアイヌコタンへ出かけていた。アイヌ語は文字を持たないので語彙収集には録音が必須で、帰宅してからローマ字に起こすのはなかなか大変だったようだ。父がその作業に没頭していた1980年代、アイヌ語の話者を見つけることは容易かったが、1996年の調査で15人だったものが2017年にはたった5人に減ったというから、言語としてはすでに絶滅したと考えていいと思う。そしてそれは八丈方言やほかの言語でも簡単に起こり得る。俺は言語の変化というのは非常に緩やかに起きるものだと思っていたが、テレビやラジオが普及してからは標準語化が急激に進んだし、インターネットが普及した現在は国の枠組みさえ超えてさらにそのスピードを増している。俺が父や興味を持ったようなテーマをフィールドで調査することは、今後少しずつ困難になっていくはずだ。
今日の仕事帰りは六花谷から東中野に至る峠越えのコースを歩いた。秋の深まった六花谷は夥しい数のどんぐりで埋まっていたが、音を立ててそれを踏み潰しても耳ざとく駆け寄ってくる猫はもういない。何となく落ち込んでしまって、ほかのコースにすれば良かったと後悔したが、行く手の遥か先に小さな猫影を認めてほっとした。
池のほとりの妻はこちらに気づいて鳴いている。何気ない反応だけど、あの子に鳴かれるのって初めてかも。
ちょうど1ヶ月ぶりの娘はすっかり冬毛でふくよかな印象(前回はこちら)。11月1日といったらまだまだ夏日が続いていたのに、明日は氷点下まで下がる予報だからなあ……。
見返りの娘。もう1匹の娘はどこかへ出かけているのか不在のようだった。
以前は400mほど離れた六花谷へ出張ることもあったが、今はここ以外で見かけることは皆無になった。広い縄張りからは餌場も交尾相手もなくなりつつあり、巡回しても無意味なことが分かっているのかも知れない。ちなみに以前も書いたが三毛は実の娘ではない(妻と交尾自体はしていて同期複妊娠だった可能性はある)。
峠を越えて河岸断崖の階段を下りればそこは猫拠点。久しぶりに白に会えた。
遠くて分かりにくいけどオッドアイ。最後に見かけたのは2月の寒い朝だった。
近寄るとその分だけ離れてしまう。隠れんぼの術で気を引いてみるか。
反対側に回り込んで待っていたら、茶トラじゃないのも飛び出してきた。
8月下旬以来とはいっても、猫の記憶力ってかなりのもの。きっと覚えてくれているはず。