気象庁が定義する用語に「夏日」「真夏日」「猛暑日」というものがあり、それぞれ最高気温が25℃以上、30℃以上、35℃以上の日を差すことは広く知られている。ところが先日、tenki.jpの天気予報を眺めていたら、40℃以上が予想されている日に「酷暑日」と書かれていた。俺の知らない間に新たな用語が定義されたのかと思って調べたらそうではなく、40℃という気温が珍しくなくなってきたことから、マスコミ等によって創作された便宜的な表現らしい。俺も10年以上前の記事で一度だけこの言葉を使ったことがあるが、その日は35.9℃という平凡な暑さであり、今の感覚からすれば大袈裟な表現だったかも知れない。刺激的な言葉を作り出すのは簡単だが、あまり乱発していると、予想を上回る段階になった時に、意図したように伝わらなくなってしまう。コロナの時の「緊急事態宣言」などはその最たるもので、この言葉であれだけ緊張感のない運用をしたら、真に緊急を要する場面になっても誰も従わなくなってしまう。気象用語も同じで、40℃が厳重警戒すべき気温なのは当然としても、いずれ45℃に達するようになった時、次はどんな言葉で注意を促すのかと部外者ながら気を揉んでいる。
猫の方は先月中旬の南東北旅行の最終回(前回の記事はこちら)。旅行3日目となった7月19日は本来の目的である猫関連の展示会に赴く日で、涼しい朝のうちに宿泊地である遠刈田を散歩したのち、9時に予約してあるタクシーで会場へ向かう手はずになっている。両者を結ぶバス路線はないし、真夏に14kmという距離を歩くのは無理なので止むを得ずの選択だが、それでも会場のある村田町内に泊まらなかったのは、遠刈田という土地を一度歩いてみたかったからだ。
狭い集落を一通り歩き回ったのち、朝一番に立ち寄った猫スポットに戻ってくると、道端で2匹の猫が対峙していた。
茶トラはさっきも見かけた子。こうして見ると強そうな出で立ちだな。
引き続き仙南温泉軌道の廃線跡。巡回帰りと思しき猫に行き合った。
そそくさとやり過ごそうとするキジ白。少しでいいから止まってー。
サチコが野良だったらこんな顔つきになっていたかも、という顔つき。5歳ぐらいかな。
蜘蛛の巣越しに何とかもう1枚。この直後、俊敏な縦移動で屋根裏に隠れてしまった。
母子と思しき玄関ポーチの2匹は瞬時に逃亡。引き戸の向こうの2匹も母子かな。
君のお母さんは逃げ足が速いね。君はしっかり踏み止まって勇敢な子だね。
散歩の最後に見かけた二毛も近寄る間もなく逃亡。田舎の猫はムズカシイ。
散歩を終えて宿に戻ったのは7時すぎ。タクシーの時間にはまだだいぶ早く、人気のない宿の周りをうろうろしていると、隣の空き地に猫小屋が建っていた。
宿の子かしら。できれば外で会いたかったけど、温泉で猫を見たという人もいるらしいので、季節によっては出歩いているのかも知れない。
約束の9時ちょうどに現れたタクシーは14kmの道のりを20分で走り、「いつもそばには猫がいた ——猫神信仰と猫供養——」と銘打つ展示会場には9:20に到着した。この展示会は2025年6月21日〜2025年9月21日の3ヶ月間、宮城県の村田町歴史みらい館で開催されているもので、かつて養蚕農家のネズミ番として活躍した経済動物としての猫や、人々を癒す愛玩動物としての猫の足跡を、南東北を中心に全国から収集された様々な民芸品で辿るものだ。石像、木像、絵画、木版、絵馬、猫瓦など夥しい数の展示物があり、その多くが個人蔵であることから、今後同じ規模の展示会を催すことは難しいと思われ、展示物が撮影可能と知って2泊3日の旅程で赴くことにしたわけである。猫の石像など勤め人が子孫に残せるようなものではなく、永代続く農家じゃないと難しいと思うが、今は農家だけでなく、神格化された猫を祀る神社や祠さえも解体され、そうした物品も人知れず消散する事例が増えているようだ。現地ではすべての展示物を撮影させてもらったが、撮ったものを全部載せるのもアレなので、印象に残った一部の写真をこちらに置いておく。俺自身はサチコを亡くして間もないことから、素朴な石像に飼い主の愛情を感じて涙腺が緩むなどしたが、開催期間中にさらなる展示物の追加や講演会もあるそうなので、興味のある方はぜひどうぞ(チラシはこちら)。
……で、帰宅の途につく前の村田町内。あれだけの猫物品が残るぐらいの地域だから、当然ホンモノもいるわけである。
仙台行きのバスが来るまでのわずか8分で見つけた村田猫。今はお蚕さんをやる家もなくなり、日中はお昼寝して過ごしているようだ。