2匹の老猫が1匹になったら家の中がとても静かだ。気を紛らわすために朝の散歩へ出かけようとも思ったが、1週間ぐらいは喪に服すべきと思って自重していた。サチコを喪ったダメージが想像以上に大きくて、そんな気分にもなれなかった。
サチコは最終的に絶飲食した状態で息を引き取った。点滴や強制給餌を施せばもう少し生きられたかも知れないが、逆に苦しませる可能性もあったので思い止まった。日に日に衰弱していく様を目の当たりにして、その方針を貫くには多大な覚悟と自制心が必要だったが、結果的には穏やかに最期を迎えられたので、今はそれで良かったと思っている。
コミュニケーションが成立したのは死ぬ前夜までだった。いつものように口の中と鼻の頭を水で湿らせ、床ずれ防止の体位交換という2時間おきのルーチンを繰り返して、翌朝になってみると目は開いていたものの瞳は何も見ていなかった。7時ごろチェーンストークス呼吸が始まったので寝室の妻を呼び、夫婦二人とマコちゃんが見守る中で静かに息を引き取った。指で腋の下に触れると、前の夜に140だった脈拍が80ぐらいになっていて、そのテンポを維持したまま徐々に拍動が弱まり、最後は消え入るようにして止まった。妻にも心停止を確認してもらって時計を見ると7:23を指していた。2003年6月以来、22年ぶりにサチコの存在しない世界に戻った瞬間だった。
もともと猫が死んだら裏庭に猫塚を作って埋葬するつもりだったが、妻と話し合って慈恵院の合同供養塔に入れることにした。うちは子供がいないので土地家屋はいずれ他人の手に渡るし、遺骨を残したところで淋しさが癒えるわけでもない。それなら献花の絶えない供養塔で、たくさんの仲間たちと一緒に過ごしてもらった方がいいし、慈恵院なら未来永劫それができるだろうと考えた。俺の14年に渡る猫散歩で出会って別れた外猫たちの中にも、慈恵院の合同供養塔に入っている子がいるから、「あの手ぶら野郎のところの猫か!」となって仲良くしてもらえるかも知れない。
そういうわけで、今はもうあの世で暮らすサチコのお友達を増やすべく、古馴染の老猫たちを慈恵院へ勧誘しに行ってみた。舌打ちの音に反応して、早朝の暗い路地にまろび出てきたのはトラ子さん。
指を差し出してもその場から動かない。あまり会えなくなったから親密度が下がっちゃったかな。
初めてこの子に会ったのは2012年5月。当時すでに2〜3歳にはなっていたと思うので、今年で15歳ぐらいだろうか。お墓の勧誘なんかしたら怒られそう……。
ここには何匹かの黒が暮らしていたので絞り込むのが難しいが、遅くとも2014年7月には確実に会っている。くたびれた感じに見えるが、それが年のせいかどうかは分からない。
ゆっくり1号を知るもう1匹、裏庭の白も定位置に収まっていた。この子は2014年10月からの知り合い。
チョビ髭の黒白を初めて見かけたのは2011年10月で、このブログに登場する猫の中では最古参の部類だが、タイミングを逸してしまって仮の名前はつけていない。
ところで君、死んだら合同供養塔に入るというのはどうかな。うちのが淋しがってるから来ておくれよ。
一方、落ち葉の上の黒白は2016年4月からだから比較的新しいメンバー。
春の朝のつもりでつい定位置の給湯器を見てしまうけど、7時の時点で27℃もあって日差しも強烈とくれば、そんなところでまったりできるわけがない。
関東地方は6月10日に梅雨入りしたが、雨が降ったのはほんの2〜3日だけで、今日などは八王子アメダスで36.8℃という真夏並みの最高気温を記録した。6月7日の府中も30.0℃と暑い日で、せめて一晩ぐらいはサチコの亡骸と一緒に過ごしたいという思いはあったものの、きれいな状態でお別れするとなると当日中に慈恵院へ持ち込むほかなかった。東日本大震災の計画停電に備えて買った大型の保冷剤でも、段ボール製の棺では半日しか持たなかった。