2011年7月1日のブログ開業から去年8月10日のエピローグまでの間、4,790日で3,876件の記事を公開したので1.24日に1回の更新頻度となり、一日一猫というブログタイトルでもまあ遜色はなかったと思う(一猫ではまったくないが)。一方、随時更新に移行した去年8月11日から今日までの記事は325日で62件だから5.24日に1回の割合で、これを一日一猫と呼ぶのはいかがなものかと思い続けたまま開業14周年の今日に至る。
猫との関連において、この一年は今までに経験のない激動の期間だった。去年5月に発覚したマコちゃんの鼻腔内リンパ腫とその長い戦い。職場の異動に伴う馴染の猫たちとの別れ。昨秋はブアイソーズ最後の1匹が旅立ち、年が明けてからは老齢のエビ子が、そして先月にはサチコまで死んでしまった。生き物を相手にしている以上避けようのないことだし、ずっと前から覚悟していたつもりだったが、実際にその場に立ってみるととても辛く、特にサチコとの別離で負った悲しみはまだ当分癒えそうにない。
我が家の飼い猫を含め、2011年7月のブログ開業から未だ存命を確認できているのは、マコちゃんのほかには拝島のキジ白3号だけになった。マコちゃんは2009年5月生まれの16歳だが、キジ白3号はマコちゃんが生まれたころにはすでに成猫で、しかもお腹の様子からして妊娠していたと考えられるので、キジ白3号はマコちゃんの母親と同じぐらいの年齢かも知れない。2011年という括りに広げても6匹(古い方から順に拝島の黒白、サバ白1号、羽衣町の黒白、チョビ1号、緑道の茶トラ白、七三の母)加わるだけだから、猫との付き合いは出会いと別れがセットなのだと思い知らされる。そしてそんな彼らと重ねる逢瀬の一刹那がとても尊く感じられる。
今朝は夏風邪にやられてしんどいところ、何とか頑張って平山の猫ヶ丘を一回りしてきた。
朝日を浴びて寛いでいたウーちゃん。こちらに気づくと地面に飛び降りて、少しずつ間合いを詰めてくる。
近寄るとシャーなので、指で挨拶なんて夢のまた夢。猫ヶ丘の猫って意外に人懐っこくないんだよなあ。
日陰に佇む茶トラ白。ここは茶系猫の多い猫ヶ丘の象徴みたいな一角。
最近、茶色を司るO遺伝子が同定されたそうで、いよいよ時代が君たちに追いついた感があるね。
車の下にも猫の気配がしているのは分かってた。こちらは1年2ヶ月ぶりのスッパニャン。
猫ヶ丘では野生型のキジ系が少数派になっていて肩身が狭そう。何しろO遺伝子は白色のW遺伝子の次に強力で、メスの茶猫からは茶系の猫(三毛・二毛を含む)しか生まれてこない。猫ヶ丘は茶猫の街なのである。
帰宅したら朝イチで近所のクリニックを受診する予定なので、散歩はほどほどにして小一時間で終わらせた。一応コロナの検査はしておかないといけないからね。
今日の猫は以上。これから1年の猫活動がどうなるか、体力の衰えもあって予測するのは難しいが、来年3月に台湾へ行くことだけは決めている。猫活動には一区切りつけたつもりだったので、前回の台湾旅行は「猫旅」ではなく、行く先々で偶然見かけた猫たちという体で紹介したが、屋台のイカ焼きでお腹を壊してからは考えを改めた。台湾はもっぱら猫を楽しむ国として再認識し、今後も行ける限り行く。