今朝早く、エノコログサを採りに近所の公園へ出かけた帰り道、自宅の前で転がっていた武蔵と遊んでいると、隣家の婆さんが出てきて「台車に乗っかっていたあの子は元気なの」と話しかけてきた。あいにく先月亡くなりました、今日は四十九日なので猫じゃらしを摘んできたのですと答えると、それは残念だったわねと悼んでくれた。四十九日というのは仮の位牌を本位牌に置き換える日だそうで、慈恵院からもそう案内されているが、俺の代で途絶える家にそんなものを置いても仕方がないので、妻と一緒にお参りして花だけ手向けてくるつもりだ。サチコを偲ばせるものといえば、数多の写真と去年作ったウンコオブジェぐらいのもので、ほかに何も残さなかったことを後悔するかなと思っていたが、意外にそんなことはなかった。22年間の記憶に勝る形見はない。
慈恵院には明日行く。熱帯夜が続いているので朝の散歩に出かける気力もなく、今日のところは先日の南東北旅行から会津若松市内で見かけた猫たち(+α)を紹介していく。なお、タイトルにある「猫神信仰と猫供養の証跡を訪ね」たのは会津若松の翌日、つまり今月19日の午前中なので、記事でそのことに触れるのは最終回の次々回になると思う。
たくさんの猫たちで賑わっているはずの駐車場で見かけたのはわずか1匹。しかも板塀に挟まったままで活きが悪い。馴染の三毛ちゃんたちやボス的風格の茶トラ白など、会いたい猫はいずれもいないようだった。
再会を期して半年ぶりに訪れた駐車場なので、猫たちが出てくるのを待ちたい気持ちもあったが、もたもたしていると日が高くなって気温が上がってくる。後ろ髪を引かれつつ、冬になったらまた来ようと心に決めて歩き出すと、ほどなくしてもう1匹いるのを見つけた。
まだ朝早いから、各自このようにして寛いでいるのかも知れないな。
暑くなったらやめるつもりで山沿いに向けてだらだら歩いていると、とある農家で猫が香箱を組んでいた。
まだ7時前だから日なたでも平気だけど、これは単に時間の問題。このころ気温は23.2℃。
冬のような佇まいだな。昨夜もそんなに涼しくなかったと思うけど、やはり本能的にお日様を求めてしまうのだろうか。
ちょうど暑くなってきたところだったのか、重い腰を上げて日陰に避難した。俺も上り坂で汗をかいていたから助かったよ……。
……などとにこやかに話しかけるも、庭の奥へと逃亡。5:10〜8:30という早朝の散歩で9.2kmほど歩いたあとは、東山温泉駅(という名のバス停)9:00発の周遊バス「あかべぇ」で宿泊先のホテルに戻り、リュックを背負って次の目的地に向けて出発した。
もともと今回の旅行は2日目の18日に猫関係の展示会を見学し、会津若松は最終日である19日の朝に散歩するつもりだった。しかし東京を出発できるのは17日の業務後であり、どう頑張っても宿泊地の遠刈田にはたどり着けない。会津若松なら東北新幹線を経由すれば20時すぎに家を出てもその日のうちに到着できるので、まずはそちらを先に訪ねることにしたという次第。
会津若松から遠刈田へのルートは磐越西線から郡山経由で白石に行き、そこからバスに乗るのが王道だと思うが、来た時と同じ路線を戻るのも芸がないので、若松駅前バスターミナルを10:30に出る仙台行き高速バスを利用した。仙台駅には13:05に着き、白石行きの普通列車が出るまでの1時間あまりはエスパルの㐂助で牛タンを食べるなどして過ごした。仙台駅を利用する時は必ず寄る店だが、昔(30年ぐらい前)に比べるとさほど美味しいと思えないのは気のせいだろうか。白石には15:15に到着して遠刈田温泉行きのバスは24分の待ち合わせ。普段ならたったそれだけの空き時間でも猫を探すが、この日は33.7℃と気温が高く、日差しもあったので諦めた。
初めて乗るバス路線は車窓に目を奪われて時間が経つのもあっという間。遠刈田の中心部から少し手前の遠刈田温泉東口というバス停でバスを降り、宿までの約1.8kmを歩くことにしたのは、この近くに仙南温泉軌道という軽便鉄道の廃線跡があるからだ。遺構は残っていないと聞いていたが、あわよくば猫に会おうという魂胆で歩き始めてから5分もせずに1匹目に遭遇した。
写真左側の道路が仙南温泉軌道の廃線跡。1937年に廃止された路線だから猫たちも存在を知らないし面影もない。
鳴き疲れたかのように伸びてしまった。まだ16時すぎだからご飯にはだいぶ早い。
試しに呼んだら腰を下ろして長考に入った。こうなると暑さで音を上げるのは時間の問題だから先に根負けしておく。
ここには明日の朝も来るから、君の仲間にも伝えておいて。今日は暑くてたくさん汗をかいたので、早く宿に行って温泉に浸かりたいんだよ。
……というわけでこの続きはまた後日。次回は旅の3日目、19日朝の散歩で見かけた猫たちを紹介する予定。