どうせ今日も晴れて暑くなるに決まっていると思っていたが、起きてみると晴れている割にはだいぶ暗い。まだ夏至を過ぎたばかりのつもりだったのに、いつの間にか1ヶ月以上経って日の出も20分遅くなっているのだった。
今朝は7匹存命中の2011年組のうち、拝島の鼻黒とキジ白3号に会うべく頑張って早起きしたが、結果を先に書いてしまうと会えたのはキジ白3号だけ。ねぐらも分からず懐いてもいない鼻黒に偶然頼みで会うのは至難の業なので、このまま再会できずに終わるかも知れない。ちなみに拝島の駅裏で暮らしていたサバ白1号も未だ存命の2011年組だが、面倒を見ていた人が自宅に連れ帰ったので去年4月を最後に会っていない。SNSで送られてきた写真を見たら、ずいぶんきれいになって元気で暮らしてしているようだ。
拝島駅をスタートしたのは5時半。日の出から45分後だと路地の大部分がまだ日陰で、猫が目を覚ますには早すぎたのか、キジ白3号の姿も見当たらない。以前なら舌を鳴らせば出てきてくれたものだが、高齢で耳が遠くなっており、聴覚に訴えることができない以上諦めるほかない。今日はこれから八王子の外れの農業集落まで自転車で行って拝島駅に戻ってくる予定なので、その時にワンチャンあるだろうと思い直して先を急いだ。この季節、もたもたしていると日差しと気温にやられて死ぬのは全国どこも変わらない。
最初に見かけたのは久しぶりのいたずら小僧。
見かけるのは4月上旬以来。この辺りの猫はずいぶん減った印象だが、こいつは臆病な性格が幸いしてか、未だにしぶとくやっているようだ。
面倒を見ている人曰く、ご飯を食べに来る時以外、どこで何をしているかまったく分からないそう。しかし俺は何となくこいつがここにいる理由が分かる気がする。
かつてこの場所には猫好き一家の住む木造民家が建っていた。10年ほど前に猫たちと一緒に引っ越していったらしく、こいつだけ置いていかれたわけではないと思うが、ここで優しく接してもらった記憶が今も残っているのかも知れない。
ここは旧々々々居に近いとある路地。ベランダの欄干に何か引っかかっているね。
ハクビシンには見えないし、この辺で猿が出たとも聞かないし、これはやはり猫なのであろうな。
実はこの子が誰かは見当がついていたのだけれども。2020年9月に初めて見かけた子で、当時まだ子猫だったので今年で5歳になるはず。ちなみにその時に見かけた兄妹と思しき猫たち(こちらやこちら)もたまに見かけるが、滅多に地面に降りてこないのでカメラに収まることはほとんどない。
朝帰りと思しき猫がとぼとぼと道路を横切った。ちょっと待って、写真撮らせてー。
アプローチがまずかったのか、警戒されちゃってダメ。猫のナンパはムズカシイ。
折り返し地点の農業集落にたどり着いたのは7時前。気温は27.7℃で猫が日陰に入る閾値をとっくに超えており、そのつもりで覗いた民家の敷地に案の定、黒いのがいた。
黒はたぶん2022年8月以来だと思う。いちばん会いたかったクリームは不在らしい。
人に会うことの滅多にない小さな集落だが、今日はめずらしく猫民家の主人が出てきたので話を聞いてみた。というのも、ここには古い養蚕建築がところどころに残っていて、今でも養蚕を続けている家があるのか知りたかったのである。
猫民家の主人によれば、「私が中学生だった60年前まではうちも蚕さんをやっていた。あなたの後ろに建っている古い家は2階が蚕部屋で機材もあるが、主人が90歳なのでもうできない。この町は建物がだいぶ建て替わっているので、蚕部屋を持つ家は少なくなった。今でも蚕さんをやっているのは隣町の加住町の1軒だけ」とのこと。2025年になってもさん付けで蚕を呼ぶのはさすが桑都と呼ばれた八王子ならではだし、養蚕の現場に接した人が健在の今じゃないと聞けない台詞だろう。
写真右側の建物なども今は納屋として使っているようだが、2階部分は養蚕室の名残が見て取れる。なお日陰で寛いでいる猫が蚕番の末裔なのかは不明。今度来たら聞いておかなきゃ。
3kmあまり離れた八王子の外れから拝島に戻り、改めてキジ白3号邸の前を通ると今度は門扉の前で香箱を組んでいた。呼んだら飛び出てくるのはいつもの通りだけど、今は視覚に訴えないと気づいてもらえない。
前回会った時は元気そうに見えたが、また少し衰えが進んだようで、目やには出ているし後ろ足の運びにも覚束なさを感じる。老齢になってくると寒くても暑くても結局衰えるんだよな……。
サチコの時もそうだったように、俺ができるのはただひたすら撫で回すぐらい。こいつはたぶん出産しているので、子供たちがどこかで元気にしていればなお嬉しいんだけれど。