先日、某巨大公園のキジ白にスーダラ1号という仮の名前をつけたわけだが、意味の分からない人が多い気がするので、一応書いとく。
スーダラというのは、怠けた状態あるいはそういう人のことを差す。グータラと同じような意味だが、スーダラには「分かっちゃいるけどやめられない」というような哀愁が含まれている。終身雇用や年功序列が当たり前だった高度経済成長期を背景に、出勤して定時まで適当に時間を潰していれば、給料もボーナスも出て、おまけにそれらが毎年勝手に上がっていく。仕事のあとは、ちょっと一杯のつもりが終電まで飲んだくれ、駅のホームでごろ寝する日々……。怠惰ではあるが、ある意味飼い殺しとも言えるサラリーマン人生を、面白おかしく表現したのがスーダラという言葉だ(ったはず)。
まあそんなことはどうでもいいんだが、今日は夜勤明けに南武線猫行脚の17回目を済ませて来た。思いのほかどんよりした天気ではあったが、そう悪くはない猫散歩だった。
まず初めに巡回中のキジ白に遭遇。
「痩せぎすの中年男性からにこやかに話しかけられる事例発生。不審だわ」
今日のスタート地点である登戸は、多摩川から河岸段丘に登る入口であることからついた地名との説がある。水の豊富な土地なので、宅地化の進んだ今でもわずかに水田が残っているし、梨畑なんかも多い。そんな中途半端な農村地帯をとぼとぼ歩いていると、とある会社の敷地に佇む猫を発見した。
うーん、いつものことながら、赤茶けた毛色は判断に悩むなあ。わずかにO遺伝子由来の茶色(レッド)が入っているような気がするけど、よく分かんないからキジトラってことにしとこうか……。
敷地の隅で丸くなっていたキジ白。シャッター音で起こしてしまった。
呼ぶとその場ですりすりするけど、眠気の方が勝るようだ。ちなみに、敷地の中で写真を撮らせてもらうため、中で昼寝していた若い従業員に声をかけると、「自分も猫好きなんすよ」と、にこにこしながら付き合ってくれた。そのうちまた缶ジュースでも持って遊びに行ってみる。
区画整理もせずに農村がそのまま宅地化したような街は、道路が複雑怪奇で、地図に頼らないと一瞬で迷う。しかし迷ったお陰で猫に会えることもあるので、そう悪いことばかりではない。疎水べりに佇んでいた黒も、そんなシチュエーションで見つけた。
「君、何か食べるものは持っていないの? 僕たち腹ぺこなんだよ」
いや、そうおっしゃられましても、ニンゲンの世界にも色々あってですね……。