昨日は朝から猫散歩に出かけ、その足で小金井の眼科に行って術前検査を受け、一度帰宅してお昼寝したあと、夕方からは職場の親しい人たちと多摩センターで飲んできた。猫の写真は半分ぐらい用意してあったが、にんにく料理ばかり食べたせいで胸焼けしてしまい、気持ち悪くてブログを公開するには至らなかった。
来月7日に受ける右目の手術は二つあり、一つは網膜裂孔にレーザ光を当てて癒着させ、濁った硝子体を切除して眼内灌流液に置き換える網膜硝子体手術。これは27Gと呼ばれる0.4mmの切開創で行うもので、現時点の最新技術なのだそうだ。もう一つは水晶体を切除し、人工の眼内レンズに置き換える白内障手術で、眼内レンズは度付きにできるので、視力の矯正にもなる。ただ、完全に矯正してしまうと、右目の視力だけが極端に高くなって、いわゆるガチャ目の状態になってしまうので、左目よりもやや高いくらいに留めることになった。これらの手術は日帰りで同時に行うが、術後感染を警戒するため、3日後、1週間後、2週間後と、しばらくはこまめに通院しなければならない。夜間・休日用の連絡先も用意され、異常時にもすぐに対応できる態勢が取られているとのこと。
昨日の猫散歩は京王線猫行脚を1駅進めた。ちょうど1週間前、芦花公園→千歳烏山を歩いた時よりも確実に暑く、多湿になっていて、あまり猫を見つけられる気はしなかったが、何でもやってみないことには始まらない。頑張って朝5時前に起きて、自転車で駅へ向かった。
こちらは早朝の黒煙邸。
いつも地面にいる子なので、見下ろされている感じが何だか新鮮。
まだ6時前だというのに、分倍河原から乗った新宿行きの特急は混んでいて、吊革の半分が埋まっているほどだった。スタート地点の千歳烏山に着いたのは6:11。対峙する2匹の猫に遭遇したのは、それから40分あまり経ってからだった。
もっと近くで観察したくて、裏手の空き地に回ってみた。黒白は2匹いたのね。
黒ボスは地面を歩き回っているらしく、茂みからがさがさと音だけが聞こえてくる。
いくら待っても出てこない黒ボスを諦めて振り向くと、こちら側にも2匹。もしかして、猫の巣窟に迷い込んだかな。
ほどなく黒ボスも出てきた。同じ黒でもだいぶ貫禄が違うものだな。
東京都は狭いと思われがちだが、島嶼を含めればものすごい広さで、有人島で最も遠い小笠原諸島・母島から都心までの距離は1,030km、無人島の沖ノ鳥島は何と1,740kmも離れている。これらのエリアを一律に「都内」と呼ぶことには無理があり、一般的に都内といえば23区、それ以外の市町村(島嶼を除く)は都下または多摩地区、あるいは三多摩などと呼ばれている。三多摩というのはかつての西多摩郡、北多摩郡、南多摩郡をまとめた呼び方だ。
俺が故郷の函館を出て最初に住んだのは東急田園都市線の青葉台(横浜市青葉区)だったが、そこにいたのは2ヶ月足らずで、それから1989年までは大まかに千代田区、渋谷区、世田谷区の順で引っ越した。1989年の暮れになって初めて国分寺市に移り住み、最初のうちは都落ちしたような気になっていたが、多摩地区のほどよい都会感と田舎感が好きになり、それ以降都内に戻ることはほとんどなかった。
その時と似たような感慨を持って、京王線猫行脚はついに23区を脱出し、住み慣れた多摩地区へと突入した。千歳烏山→仙川は1区2市が入り組んでいて、世田谷区の次は調布市だと思っていたら、最初に猫を見つけたのは三鷹市内。これまで三鷹市の猫は2012年6月に会った黒白が唯一だったので、8年ぶりの追加となった。
しかもこれが途轍もなく可愛らしかった。
三毛の姉妹は片方が臆病で、近寄る素振りを見せただけで逃げてしまう。時間をかければ何とかなるかな。
車の下には不安げな顔つきの茶トラ白。この子がお母さんなのか……、
それとも奥の方からこちらを見ているこの子なのか。ちなみにおっぱい(最下段)は張っているみたい。
塀の上には母親候補がもう1匹。この子もおっぱいが張っている。
そうこうしているうちに、子猫たちはやんちゃモード全開。可愛いねえ。
可憐な姉妹と別れ、再び市境を超えて調布市へ。歩いているうちに雨が降ってきたため、そろそろお開きにしようと先を急いでいると、行く手に猫が見えてきた。
昔、音楽関係の女友達が住んでいたことから、この辺りには割と土地鑑がある。猫の多い土地だとは思っていたが、今もそうなんだな。
雨粒が気になるくらいの降りになってきた。2時間あまりの散歩を終えて仙川から電車に乗り、予定通り小金井の眼科へ向かった。笹塚からしばらく辛かった京王線猫行脚だが、ここに来て私鉄沿線らしい、猫影の濃い散歩ができるようになるかと思われた。