山間の集落は一軒一軒の標高差が大きく、猫たちの許を訪ねるのも一苦労。あのモノレールが動いてくれれば多少マシだろうが、あいにく猫たちの寝床になってしまって長期運休中だ。
見張り番の紹介から始まった今日の記事は、昨日の奥多摩散歩の後半を。氷川の街を小一時間ほど歩き回ったあと、カーシェアリングの車でさらに奥へ分け入り、猫集落に到着したのは9時ちょうど。猫たちのねぐらへと続く細い杣道は、身を隠すことも足音を忍ばせることもできず、早々に存在がバレてしまったため、下の縄張りの猫は大方隠れてしまって出てこない。前回のように偶然奧さんが現れるというような僥倖もなく、家の前で1匹のキジ白が斥候のような顔でこちらを睨んでいるだけだった。
ここでキジトラ系の毛色を見るのはずいぶん久しぶり。タイミングの問題だろうとは思うが、1年ぶりともなると感慨深い。
見張り番もキジトラ系。閉ざされたエリアで繁殖しているので、親戚筋であることは間違いないけど。
多産の三毛が死んだので、ここの猫は減っていく一方だろうと思っていたが、もしかしたらそうではないのかも知れない。2匹のキジ白にだって前回来た時は会わなかったし、谷間からはまだ見ぬ猫の咆哮が風に乗って聞こえてくる。奧さんは15匹残っていると言っていたが、ほかにも山中を棲み処に定め、繁殖の機会を窺っているのがいるのかも知れない。
「今日は暖かいからみんな寝ちゃってるよ。もう少し早く来たらいいのに」
今日はほかにもいくつか回るので、そろそろ行くよ。またそのうち来るから、奧さんによろしく伝えておいてね。
この日、猫集落には20分足らずの滞在で、再び車のハンドルを握る。谷から聞こえた咆哮のような鳴き声は、噛みつき黒ちゃんじゃないのだろうかなどと考えながら、つづら折りの山道をそろそろと下りていると、行く手にさっき見かけた斥候の姿があった。
下の段の民家で猫の寝床と化しているモノレールは、このように玄関前と崖下の車道を結んでいる。難民化した猫たちの面倒を見ることになった下の奧さんは、足が悪いというのに、餌一つ買うにもわざわざ青梅まで行かなければならず、帰ってきてもモノレールが動かせないので、車庫から家まで運び上げるのに苦労している。車がない場合でも、一日数本のバスに乗って氷川に出れば、ちょっとした店はあるので、人間の食料を手に入れることはできるが、猫の餌は売っていないのだそうだ。最低限の日用雑貨や食料品は週に一度、農協さんの移動販売車が登ってくる。ただしこれとて猫の餌を積むようなスペースはなく、人間用もいいものは途中で売れてしまい、猫集落に着くころには大したものは残っていない。野菜などは自家菜園で賄うが、鹿やイノシシの食害がひどく、おまけに今年は雨が少なくて出来が悪いと嘆いていた。あまり知られていないようだが、こうしたことも「東京」の一つの姿である。
猫集落のあとは寄り道を三つした。一つは猫集落のさらに奥に位置する東京最果ての猫民家で、先月も寄った場所だが今回も猫には会えず、家主の婆さんに挨拶できただけだった。もう一つは新規開拓となる留浦の小さな集落で、こちらは猫の濃厚な気配を感じたものの、現物に遭遇することはできず、山の中を5kmあまり歩いて死にそうになっただけだった。散歩の道すがら行き会った婆さんが教えてくれたところによると、この付近には猫が「いっぱい」いて、朝晩にはご飯を求めてどこからか現れるとのことなので、時間帯を変えれば会える可能性が高い。
この日最後の寄り道は山腹トリオの猫拠点。いつものように青梅方面へ車を走らせ、公営の広い駐車場に差しかかると、入口がトラロープで封鎖されている。大がかりな工事でも始まったかと思い、がっかりして貼り紙を見ると、「緊急事態宣言に伴い閉鎖します」と書かれていた。人出を減らす目的で人の集まる場所を閉鎖するとはこれ如何に。街なかの喫煙所を次々に閉鎖して愛煙家が減ったかとか、行楽地のくず物入れを撤去してゴミが減ったかとか、行政というのは前例や類例に学ぶことってないのだろうかなどと呟きながら、入口に車を止めて坂道を歩いていると、道端の黒白猫が蛾をいたぶって遊んでいるのが見えた。
呼ぶと全力で駆けてくる無邪気な子。1ヶ月という短期間のうちに首輪が変わっているのは、きっと可愛がられているからに違いない。相方の黒や、山腹トリオのキジ白にも会いたかったが、どちらもこの日は現れなかった。動画はこちら。