年度末の長い報告書を書き切って夜勤が終わり、仕事帰りに散歩する気力はなかったので、まっすぐ帰宅して我が家の2匹といちゃついてから仮眠した。夕方になって強い雨音で目が覚めたが、もしかしたらあれは雨ではなく雹だったかも知れない。
今日は四国・台湾猫旅の連載第3回。サンライズで東京を発った日を0日目として2日目にあたる先月20日、台湾は新北市の菁桐で会った猫たちを紹介していく(前回の記事はこちら)。
この前日は香川県内の3箇所を散歩したあと、坂出駅前からタクシーに乗り、高松空港に到着したのは17時すぎ。もともと空港まではリムジンバスを利用するつもりだったが、俺が乗る予定の中華航空179便(18:55発)にちょうどいい便がなく、飛行機に間に合うようにとなると空港着が16:13と早すぎる上、せっかくの散歩時間が無駄に短くなって勿体ない。高松空港というのは周辺のどの都市からも遠く、タクシーだとかなり割高になるので涙ちょちょ切れる部分はあったが、この時だけは奮発して約7,000円の出費を受け入れた。
水平線に没した太陽を追いかけるように、いつまでも薄明るい西へ向けて飛行機は飛び、桃園国際空港に到着したのは約3時間後の21時すぎ(日本時間22時すぎ)だった。羽田から飛ぶより1時間短く済んだのは良かったが、いつも利用する台北松山空港と違って、台北市内の中心部へ移動するには桃園捷運の快速で40分ほどかかる。混雑して入国に時間がかかるのもイヤだなと思っていたがその心配はなく、飛行機を降りてから入国まで15分程度で終わったのはラッキーだった。忠孝復興駅近くの安宿にたどり着いたのは23時近く、朝7時半にサンライズを降りてから動きっ放しだったので疲れ果ててはいたが、寝る前に南京虫チェックだけはしておいた。
猫旅2日目の20日は朝早くに宿を発ち、台北捷運文湖線で木柵へ。木柵からは乗り慣れた台北客運795路で山間部へ分け入り、最初の散歩地である菁桐に到着したのは8:05。ここは鉄道の駅名(菁桐)とバス停名(菁桐坑)が異なっているが、これはもともとこの土地が炭鉱だったことに由来するもので、運炭鉄道として三貂嶺〜菁桐が開業したのは日本統治時代の1923年のことだった。その後台湾でも石炭産業の斜陽化が進み、この路線も1980年ごろには閉山によって廃止の危機を迎えたが、沿線の観光誘致によって今も存続できているのは日本の運炭鉄道と大きく異なる点だ。古いホッパーが残された菁桐駅構内は、俺が幼いころに見た夕張線沿線の風景に酷似していて懐かしく、屋根の上で朝日を浴びる小貴妃ちゃんの姿がそれに拍車をかけてくれた。
30分近く探し回って半ば諦めていたので、見つけた時は思わず「そこにいたんかー」と声が出てしまった。今回の猫旅でいちばん会いたかった子が1匹目という僥倖。
その向かいにもう1匹。この朝は12〜13℃という低い気温で、猫たちも高みに上がりがち。
先に紹介しておくと、この子の名前は豆豆龍。帰国後、面倒を見ている人のFacebookにメンションしたら教えてくれた。ちなみに豆豆龍は中国語で「トトロ」のことだそうで、こうして佇んでいるとそう見えないこともない?
こちらの三毛は小花。2018年3月に見た猫掲示板には写真があったけど、会ったのは去年が初めて。元気にしていたようで良かったよー。
今日は今までになくたくさん出てくるねー。この子も去年初めて会った子で小屁孩という名。屁孩を日本語に訳すとお子ちゃまとか青二才という意味だそう。
でもこの子がいちばん天真爛漫で人懐っこい。そう聞けば確かに名前と性格が一致しているかも。
ただ俺、今回が最後の台湾猫旅なので、君たちともこれでお別れなんだよ。
胖胖ちゃんも知り合って6年になるから淋しいんだけど、俺ももう年でさ、そろそろ体力的にキツいんだよね……。
小貴妃ちゃんは下りてくる気配がない。最後にひと撫でしたかったけどしゃーない。
ここは安全だし、面倒を見てくれる人もいるから、ほかの場所よりは後ろ髪を引かれないで済む。お子ちゃまの小屁孩ちゃんもお元気で。謝謝你讓我拍了這麼多照片!
この子とは去年の猫旅が今生の別れだと思っていたので、今回はおまけみたいなもんだな。小貴妃の名の通り、おっとりした性格で品のある猫だった。初めて会ったのは2018年3月、雨に濡れる線路端でのことだった。
民家の隙間に入ってほどなく角を曲がり、それがこの子を見た最後になった。2016年に初めてこの地を訪れた時、降りそぼつ雨の中で見かけた2匹の猫(小母貓、黒球球)はすでに鬼籍に入ったようだ。今残る猫たちもここを訪れるたくさんの人の記憶に刻まれたのち、天寿を全うして土に還ることだろう。
散歩はこのあと平溪線を進み暖暖へと移動していく。