今日は動物医療センターの予約の件で主治医からの連絡を待っていたが、夕方になっても音沙汰がなく、それなら朝のうちに猫散歩に出かけておくんだったと後悔した。年中で最も日の出の早い時期に差しかかっているのに、貴重な休暇を無駄に過ごしてしまった。動物医療センターには明日の朝一番でこちらから電話してみる。
猫の方は昨日に続いて四国・台湾猫旅の金崙編から。この辺りで眺望がいいのは金峰郷に属する賓茂村の高台で、街なかからでも全長1.3kmの金崙大橋や美しい太平洋が見渡せる(猫サーバ内動画あり)。金崙大橋の架る金崙渓は標高2,068mの衣丁山東麓に源を発し、26.4kmという短い距離で太平洋に注ぐため、普段の水量は少ないが、ひとたび雨が続くと土石流が発生しやすく、海辺や山で遊ぶ行楽客は多くても川遊びの習慣はないようだ。
俺は台湾の中でも太平洋に臨むこのエリアがとりわけ好きだが、海がきれいで気温の高い国にもかかわらず、台湾で海に入ったり泳いでいる人を見たことがほとんどない。水を見れば足だけでも浸かろうとする日本人と違って、台湾人は水遊びに興味がないのだろうかとずっと不思議に思っていたが、最近になって台湾の学校では授業で水泳を教えていないことを知った。調べてみたら台湾どころか学校の授業で水泳を教えている国は世界的にも珍しいそうで、それじゃ大人になっても水は怖いままだろうし、ましてや海なんか恐ろしくてとても入れないだろう。ちなみに俺自身も幼稚園から高校まですべてプールのない学校に当たってしまい、小学校低学年の時だけ3km以上も離れた町営プールまで行って授業を受けていたが、ほかに水泳を学ぶ機会はまったくなかった。なので俺はクロールとか背泳ぎといった正統派の泳ぎ方ができない一方、幼いころから地元で海の生き物に親しんでいたため素潜りだけは得意という奇妙な状態で大人になってしまった。
話が逸れたが猫は日陰でこちらを訝しんでいる。遠くに見えているのが金崙大橋。
しかし、そうはイカのキンタマなのだ。ちょっとだけアップで撮らせておくれ。
もと来た道を戻って再び金崙の集落へ。賓茂村よりも人口密度が高いだけこちらの方が猫は多く、歩けば歩いただけ猫に遭遇するが、傾斜地に展開する集落なのでそろそろ疲れてきた。今回の猫旅は腰と膝の痛みにも苛まれており、気温が上がってきたことも相俟って、隅から隅まで歩くのはとても無理だ。
出歩いているのを呼び止めても無視される。お昼寝場所を探しているのだろうから見つかっちゃいけないわけだな。
正面から見ると鉢割れ茶トラ白のようだけど、この子は三毛。見つめ合ったまま膠着中。
一方こちらは積極的な三毛。目が合っただけで前足踏み踏みが止まらない。
耳が垂れているところを見ると、この子はスコティッシュフォールドなのかしら。でもこの猫の巣窟でわざわざ血統種を買う物好きがいるかなあ。
時刻は10時近くになり、そろそろ次の散歩地へ向かう時がやってきた。小さな集落を2時間以上あっちふらふらこっちふらふらした割に、歩いた距離はたった4.6kmだったが猫にはそれなりに会えた。最後にもう一回りと思って碁盤目状の住宅街を歩いていると、高く積まれた段ボール箱の頂きで休む猫を発見。あの子が金崙の最後になりそうかな。
とててて、と駆け寄ってくる様子を眺めていたら、いつの間にかもう1匹合流。同じ家の子だろうけど尻尾の形がまるで違っていて面白い。
ごろごろすりすりが止まらなくなり、しばらく構って飽きたころにようやくもう1枚。
もう1匹のキジ白は40分ほど前にも会っていて、アップも取らせてもらっているので今回は割愛。なにぶん紙幅も限られており、金崙散歩は人懐っこいキジ渦白で〆と相成った。
去年の猫旅で金崙を訪れた時は金崙村と賓茂村を合わせて34匹の猫に会っており、それに比べると今回が20匹と少ないのは前泊したかどうかの違いだろう。金崙の真髄は夕方から夜にかけてであり、もしこの記事を読んで行ってみたいと思われる方は、現地に泊まることを強くお勧めする。
金崙10:25発の305次自強号に乗り、台東で太魯閣号に乗り換えて花蓮県に入り、次の目的地の玉里には11:50の到着。オーラスとなった四国・台湾猫旅の最後の散歩地にこの地を選んだのは会いたい猫がいるから。台湾東部はほかにも魅力的な街がたくさんあって、瑞穂や關山でこんな子やあんな子に会いたい気持ちもあったが、最終的には去年の猫旅で6年2ヶ月ぶりに再会した玉里の茶霜降りを訪ねることに決めた。もともと玉里の老街市場はたくさんの人や猫で賑わっていたが、去年は猫どころか市場自体に活気がなく、コロナの影響で衰退しちゃったのかと気になっていたからでもある。
玉里で最初に遭遇したのはトラックの下の茶トラ。約2時間確保した散歩時間の最初の30分を費やして、以前から一度訪れてみたいと思っていた日本統治時代の玉里神社へ赴いた。本殿はかつての国民政府によって破壊されており、辛うじて鳥居や灯籠が残っていることは旅行ブログなどを見て知っていたけど、ここで猫に会えるとは何という僥倖!
近寄ってみるとまだ若い子。鳥居のところの民家で飼われている子かしら。
逃げないでいてくれてありがとうね。君の先祖はここをお参りする日本人を見ていたかも知れないねえ。
ちなみに俺は国民政府が神社を破壊した時期を1945年10月の光復後だと思い込んでいたが、調べたところ1972年9月の日華断交がきっかけだったようだ。境内を散策した時の写真はこちら。
神社の跡地から丘を下りて街なかに入り、次に見かけたのは高みの霜降り。ここからじゃちょっと分かりにくいかな。
猫の欠伸は友好の証だと思っていたけど、呼んでも下りてくる気配はない。
そして次回はいよいよ最終回。懐かしい玉里の老街市場に人出は戻っているのか、猫の集団は昔のように道端でご飯を待っているのか、100m先を右に曲がればついに明らかになる!