寝台特急「サンライズ瀬戸」で東京を発ってから5日が経過した3月23日、俺は四国・台湾猫旅最後の訪問地である花蓮県玉里鎮で猫を探していた。この時すでに夏を待たずして猫散歩自体を一区切りつけることを決めていて、台湾猫旅も今回が最後のつもりで各地の知り合い猫を訪ね歩いてきた。2014年12月に初めて訪れてからというもの、すっかりこの国が好きになって何度も旅してきたが、少なくとも猫だけを目的に来ることはもうない。
そういう事情なので今まで親しくなった猫にはできる限り会っておきたかった。台湾初日に菁桐で再会した小貴妃を筆頭にそれが叶った猫もいれば、十字路の皮蛋のように本人との再会は叶わなかったものの、子孫と思しき挙動のそっくりな猫と戯れられたケースもあった。そのどれもが今となっては懐かしい。
帰国日となったこの日は太麻里の宿で目覚め、駅までの短い道のりで何匹かの猫に会ったあと、1年ぶりの金崙で2時間半に渡る散歩を楽しんだ。以前より体力が落ちている上に膝や腰が痛く、丘陵地の金崙では途中で息切れした感じだったが、それでも猫の巣窟だけあって20匹の猫に遭遇。そして最後にここ玉里の地で2時間ほど散歩したあと、13:47発の自強号で一気に北上することにしていた。
前回の記事にも書いたように、台湾東部にはほかにもいくつかの散歩候補地があったが、最終的に玉里を選んだのは老街市場の茶霜降りに再会したかったから。加えて俺は玉里という街自体にある種の郷愁を感じていて、その一つは日本統治時代に造営された玉里神社の存在。そしてもう一つは初めてこの街を訪れた時、ベルトを買うために駆け込んだ洋品店のおばちゃんが片言の日本語を話してくれたこと。俺は中国語もろくに喋れない癖に台湾以外の海外をほとんど知らないので、現地で猫以外の生き物とコミュケーションを取ることが難しい。なのであちらの人が日本語で話しかけてくれた時は、救われたような気持ちになって心底嬉しいのである。ちなみに洋品店のおばちゃんが話した日本語というのは「ダイジョブダイジョブ、チョッキリヨー」と「アリガトネー」の二つ。きっと親が日本語教育を受けた世代だったのだろうし、その親が若いころには玉里神社に手を合わせたり、高台の境内から街の灯を眺めたことがあったかも知れない。猫も人もその営みは時代を超えて繋がっている。
……というわけで玉里散歩の後半は老街市場の北端から、鍋釜を扱う露店の黒でスタート。去年は寂れ切っていて猫もほとんど見なかったが、その時よりは営業している店が増えているし人通りも多少ある。
台湾人はあの鍋釜でどんなものを作って食べているのだろうと思いながら眺めていると、テーブルの下の光る目に気づいてのけぞった。
俺が訪れた中では2017年1月が最も賑わっていた印象だが、そこまでのレベルじゃないのはその後コロナがあったからだろうか。この日は土曜日だから多少は店も開いているが、平日ともなれば去年と変わらず寂れているのかも知れない。
猫は行き倒れ的な佇まいでお昼寝中。背後のお寺の子かな。
めっちゃ放熱モードだな。ちなみにこのころ気温は27.8℃で日差しはほぼない。
塀の上には白いのも。全盛期ほどではないにしても、ここは今でも猫寺のようだな。
この辺りを根城にしている茶色い霜降りがいると思うんだけど、君たち知らないかな。
この日会いたかった茶霜降りは初めて玉里を訪れた2017年1月、ほかの仲間たちとともに猫寺の前でご飯を待っていた。去年の猫旅で6年2ヶ月ぶりに再会できたことをずいぶん喜んだものだったが、残念ながら2年連続の奇跡とはならなかった。
でもまあ今はお昼どきだし、きっとどこかで寝ているのかも知れないね。
可愛らしい顔立ちのキジ白はきょとんとしている。君みたいのがたくさんいるなら、玉里にも一度は泊まってみたかったなー。
列車の発車時刻まで残すところ30分ほどとなり、最後に立ち寄ったのが初めての玉里散歩(2017年1月)と同じ路地というのも感慨深い。当時はちょうど下水道工事中だったらしく、地面に穿たれたたくさんの穴を見て、「パイロン一つ置かないのも国民性かな」と妙に感心したものだったが、今はしっかり塞がれて猫も人も安心して歩き回れる。
キジ白は訝しんでいる。日本から来た手ぶら撮り逃げ野郎の伝説、お父さんやお母さんから聞いていない?
お散歩帰りと思しき茶トラ白は奇遇にも去年ここで会った子。目尻のアクセサリーアイラッシュが長くてゴメン顔に見えることから、何となく印象に残っていたよー。
去年は野良然とした佇まいだったけど、1年経ったらすっかり毛並みも良くなって、シュッとした体形に変わっていた。いい飼い主に恵まれたのだとしたらとても嬉しい。
樹林行きの421次自強号が玉里を発車したのは5分遅れの13:52。韋駄天のEMU3000型電車は270.7kmを2時間57分で突っ走り、下車駅の松山には遅れを維持したまま16:49に到着した。花蓮発車後は松山まで2時間以上も停車せず、表定速度91.8km/hを叩き出すのは宜蘭線の急曲線区間を考えれば脅威の走りっぷりだ。トロくて高いJRのぼったくり特急なんかアホらしくて乗ってられるかと鼻息も荒いまま、松山から台北捷運に乗り換えて、台北松山空港にたどり着いたのは見込みより10分早い17:14だった。羽田行き中華航空222便が滑走路を離れると台北の灯は5分もしないうちに見えなくなって、長かった四国・台湾旅行は振り返る間もなく幕を閉じた。
最後に恒例の集計発表を。3月18日のサンライズ乗車日を0日目として、1日目の翌19日は2008年秋以来16年ぶりとなる四国の地。香川県琴平町で7匹、坂出市で9匹、宇多津町で5匹の計21匹。2日目の20日は舞台を台湾に移し、まずは新北市や基隆市など東北部のお馴染さんを訪ね歩いた。新北市平溪区で6匹、瑞芳区で17匹、基隆市暖暖区で13匹、七堵区で5匹の計41匹。3日目の21日は朝の嘉義市内を散歩したあと阿里山森林鉄路で十字路へ。皮蛋には会えなかったが子孫と思しきキジトラほか3匹の猫に遭遇した。嘉義市西区で14匹、嘉義県阿里山郷で3匹の計17匹。4日目の22日は台湾きっての大イベント「白沙屯媽祖進香」が北港に到達する前日で、前泊地の斗六では参加者と思しきたくさんの集団を見かけた。雲林県北港鎮で18匹、台西郷で4匹、西螺鎮で7匹、屏東県枋寮郷で2匹の計31匹。帰国日の23日は台湾東部の原住民集落を訪ねる散歩。排湾族が多く暮らす台東県太麻里郷で26匹、金峰郷で4匹、阿美族が多く暮らす花蓮県玉里鎮で9匹の計39匹。合計すると69.4kmの歩行距離に対して149匹の猫に遭遇し、頻度にすると466m歩くごとに1匹という結果だった。これは例えば国内で成績の良かった南武線猫行脚の939mに比べても突出した値で、今回の目的の大部分が旧知の猫を訪ねること、つまり知らない土地を彷徨い歩く必要がなかったからだろう。
帰国してからすべての猫を載せるまで2ヶ月半近くもかかってしまったが、大きなイベントはこれでほとんど片付いた。海外はもちろん、近場であっても宿泊を伴うような遠出はあるとしてもあと1回(マコちゃんの体調次第)。今月は今まで13年間の足跡を振り返るための1ヶ月になると思う。