猫たちへの挨拶回りが一通り済んだので、13年あまり続けてきたほぼ定期更新というスタイルは今日をもって終わる。
最後の猫巡行をどこにするかなかなか決められなかったが、最終的には猫散歩黎明期に足繁く歩いた立川〜拝島を自転車で走ることにした。ブログを始めた2011年7月当時、俺は立川市錦町のとあるメーカーに勤めており、その数ヶ月前に東日本大震災があったばかりだったので、立川から拝島までの距離が9kmほどで、ゆっくり歩いても2時間ちょっとで到達できることを覚えていた。地震発生直後は鉄道は当然止まっていたし、バスやタクシーも200m以上の長蛇の列ができていて、自宅のある拝島まで歩いて帰るほかなかった。しかしあの時と違って今は真夏なので、悠長に歩いていたら日が高くなって暑くて体が持たないし、猫たちも見えないところへ引っ込んでしまう。なので最後の猫巡行としてはやや不本意だったが、立川駅近くでシェアサイクルを借りて、まずは馴染の猫たちの暮らす西立川へ向かうことにした。
6時半には着きたいと思っていた細路地にたどり着いたのはぎりぎりの6:28。行き止まりの路地に他所者が潜む様は怪しさ満点であり、誰にも会わずに済ませられることを期待していたが、曲がり角を曲がった途端に住民の婆さんと鉢合わせになってしまい、お互いにのけぞったのが今日いちばんのエピソード。落ち着き払っているのは猫だけだった。
6月下旬と同じパターンなんだけれども。ちなみにあいつは臆病すぎて歯が立たない。
トラ子さん降臨! ねぐらの場所が分かったので、また以前のように安定的に会えるようになってきたなあ。
指は何とかOKだけど、触れるまでは思い出してもらえない。ここは今後もたまに来るから努力次第ということで。
なお、鉢合わせになった婆さんこそが猫の面倒を見ている人で、トラ子さんの本名はルーちゃんで推定15歳、さっきのキジ白はオボちゃんという名で年齢はトラ子さんより上だと教えてくれた。出会って12年でやっと分かった真相!?
トラ子邸から200m西へ進めばそこはエビ邸。エビ子はとっくに待機中。
エビ子は推定14歳ぐらいだったはずで、こうして見ると外見上は衰えているが、外で暮らしているので暑さ寒さで居場所を変えたり、小さいながらも縄張りの巡回があったりもして、最低限の体力は維持している。室内暮らしのサチコなどは安穏としているように見えても、トイレと食事以外は動かないので体力低下が著しく、もはや膝に飛び乗ることもできない。例えてみれば、エビ子は死ぬ直前まで野良仕事に出るという沖縄のオバーみたいなものだろうか。
東中神、中神と空振りが続き、次に訪れたのは昭島駅から少し離れたとある路地。徒歩だとなかなか来られない場所で、猫がいることを分かっていながら、実際に会えたのは2016年9月以来の8年ぶりとなった。
さすがにあの時のメンバーではないようだけどね。
敷地の奥には三毛もいた。年恰好からすると8年前からここにいて、単に俺が会えなかっただけかも知れないね。
この子は微妙。女性の年齢ってだけで難しいのに、猫だから見当がつかない。
かつて足繁く通った拝島駅の北側もすっかり淋しくなって、昔は十数匹の常駐猫で賑わった猫マンションも今は残りわずか2匹。馴染のキジトラに会えたのは良かったが、ちょうどお昼寝中だったらしく定位置で伸びていた。
ちょうどそこへ面倒を見ているおじさんが現れて、猫もこちらへ向き直ってくれた。衰えは目立つけど4月よりは戻している感じ。この子は2013年6月からの知り合いで、マンションが猫で賑わっていたころも、ほかから離れて廊下で静かに佇んでいるような子だった。恐らくこれが今生の別れになるだろう。
8時すぎでも日差しは厳しく、猫を構っているだけで汗が滴り落ちてくる。おまけに土壇場で膝を痛めてしまい、屈んでいるのも辛いという情けない有様。この子には今後も会いにくるので、もう少し涼しくなってからゆっくり遊ぼう。
このあと昭島市の住居表示施行に伴って誕生した代官山と称するエリアへ足を延ばしてみたものの、10年前にはわずかに生息してたはずの猫は一匹たりとも見当たらず。後半はただただ暑さにやられて感慨に耽る余裕もなかったが、電車に乗って帰宅する段になって底知れない淋しさに襲われることになった。動き始めたら止まらない、止まってしまったら動けないという性格の俺は、単に散歩をお休みするだけでも自己嫌悪に陥っていたのに、これから先どうやって精神を保てばいいのか見当もつかない。今後は月に1〜2回ぐらいの更新頻度を維持したいと思っているが、その数字に根拠はない。
最後に、こういうことを書くことにあまり意味はないのかも知れないが、この13年で最も印象に残っている猫は六花谷のゴンだった。気難し屋でほかの猫たちを寄せつけない一方、俺などの猫好き人間に対する懐き方はいじらしいほどで、それだけに最後に会った日、痩せこけた体を引きずるように駆け寄ってきて、縋るように鳴いたあの光景は今でも忘れられない。正直言うと俺はあれがゴンとの最後になるだろうと悟っていた。その3ヶ月ほど前から急激に衰えが進んでいて、食べ物や飲み水を持って行ったり、元気なうちにと思って一緒にカメラに収まったりもしていたが、あの日はもう食べる気力もなければ、縄張りを侵すトラちゃんに唸って怒る元気も残っていなかった。しかし俺はゴンに限らず、哀れな猫を見つけても助けないと決めていた。俺が全リソースを捧げるべきはサチコとマコちゃんであって、自分の意志で選んだ家族だからそのことは揺るぎない。ゴンにはゴンの縄張りがあって見てきた景色があるし、サチコやマコちゃんもまた然り。それを異種生物の分際で引っかき回すのは僭越だと思っている。
とはいえ自分を慕ってくれる存在が弱っていく様を見るのは実際辛いことで、ゴンに限らずその時々で激しい葛藤があった。13年の猫散歩はそういうことの繰り返しだった。