瑞芳駅に着いて始めに戸惑ったのはいつも利用しているコインロッカーが工事中で使えないことだった。駅には有人の行李房(手荷物預かり所)があるので重いリュックからは解放されたが、猫のお寛ぎ場所になっていた事務所付近はフェンスで覆われており、猫たちの面倒を見ていた駅前の文具店も「租」と書かれた不動産屋の貼り紙がしてあって空っぽになっていた。思いのほか大がかりな改修工事のようだった。
台湾旅行の初日(今月19日)、二つ目の訪問地である瑞芳も10年以上通った馴染の街だが、たった1年という短い間にも容赦なく変化していく。屋根の上で暮らしていた茶色い家族もコロナ前の2019年11月に見かけたのが最後になった。日本で何度も経験したのと同様に、ここを潮時と感じるのもそう遠いことではないのかも知れない。冴えない天気のせいか、いつもなら猫の巣窟になっているはずの達玄宮の路地で見かけたのもわずかな数だった。
こちらのキジ渦白は去年も見かけた。逃げない代わりに懐きもしないという暖簾に腕押しな子。
黒はなー。この一帯にはとてもたくさんの黒猫がいるから、特定できるかどうか……。
この子は去年会った中のどれかかも知れないし、どれでもないかも知れない。
台湾名物・スクーターと猫。気温が低いせいか、こうして見えるところで寛いでいるのは少ない。
瑞芳15:00発の4828次区間車で菁桐へ。信じられないことに、この日の猫はこの子でおしまいなのである。
これは単なる渦巻きというより、いわゆる一つのアメリカンショートヘアというやつであろうな。
去年は朝の2時間でほぼすべての常駐メンバーが出てきたというのに(こちらの記事)、今年は冴えない天気でからっきし。とりわけ会いたくて「主な登場人物」にまで登録した小貴妃や、ちょこまか落ち着きのない屁孩など、誰一人として会えなかったのはとても残念だった。この子がいなかったら往復2時間かけて空振りの憂き目に遭うところだった。
雲が厚くて辺りはかなり暗くなっており、次の列車までもう1時間引っ張っても仕方がない。後ろ髪を引かれつつ17:06発の折り返し八堵行きに乗り込むと、最後の客(俺)を見送った渦巻き猫は店のカウンターで舟を漕いでいた。あとで聞いたら姆姆という名前とのことだった。
八堵で縦貫線に乗り換え、基隆に到着したのは18時半。この日は基隆港を22:30に出港する馬祖航路の新臺馬輪で東引島へ向かうことにしている。この航路は台湾本島から北西に200kmあまり離れた馬祖列島の南竿島および東引島と基隆を三角形に結ぶもので、基隆出港日を基準にして偶数日は基隆→東引島→南竿島→基隆、奇数日は基隆→南竿島→東引島→基隆というように日によって寄港順が変わる。公式サイトの作りはまあまあ分かりやすい方だと思うが、なぜか予約ページは海外からのアクセスを弾いているらしく、VPNで台湾のサーバを経由しないと開けない。東引島から乗船する場合は乗船日前日の11:00〜14:00の間に島内の指定場所でチェックインが必要だったり、乗船前のセキュリティチェックが飛行機並みに厳しかったりと、俺のように慣れない人間にはやや敷居の高い訪問地だった。これらは恐らく馬祖列島が大陸からごく近く、軍事拠点などが集中しているからだと思う。
昔の寝台列車で言うところのB寝台(2段)に相当する船室に潜り込んだのは出港の1時間以上前。窓のない船室から外の様子を窺い見ることはできず、うとうとしているうちにエンジン音が高まったと思ったらすぐに波の動揺が伝わってきた。この日、朝3時半に起きてから動きっ放しだった俺はそれなりに疲れていて、船酔いの心配をする間もなく深い眠りに落ちた。この日は奇数日で先に南竿島を回るため、東引島に到着するのは翌日の11:30。今回の台湾旅行でいちばん寝坊できるとあって、心底リラックスして枕を抱いたのだった(続く)。