昨日の午後から降ったり止んだりを繰り返していた雨は、今朝まで残るとの予報に反して、日が昇るころには止んで小鳥のさえずる声さえ聞こえていた。散歩を休んで7時まで寝ていたことを軽く後悔したが、どうせそんな日は暗くて写真なんかきれいに撮れないし、普通に出社して正解だったと思うことにした。雨は日中になってもだらだらと降っていたようだ。
昨日に続いて今日も先月23日の奥多摩散歩の紹介を。街道沿いの猫民家を辞去して、次に訪れたのは崖線の急坂に展開する猫の遊び場。ヤマザクラの巨木を見上げて立派だなあと感嘆しつつ、とぼとぼと坂を下っていくと、瓦の上でちょこなんとしているのが見えてきた。
妹は坂の下の家が気になるみたい。きっといつものように、裏窓に張り付いているのがいるんだね。
ちなみにこいつは兄ではない。大柄なせいか黒白兄妹には怖がられているそうだ。
氷川散歩を終えて猫集落に到着したのは10時ちょうど。平場から少し離れた沢沿いに車を止め、上の段の縄張りを覗いてみると、ぱっつん頭の黒白が地面でお尻を温めていた。
上の段にはぱっつん頭のほかに猫影はなく、もう猫はいないはずの下の段を念のため覗いてみると、敷地の奥から小柄な黒白が現れた。
近寄る素振りを見せると奥の方へ逃げてしまう。この家の奥さんからは「自由に入って撮って良い」と言われているが、もう10年近く前のことで、忘れられている可能性もあり、どうしたものかと悩んでいると、運よく洗濯物を取り込みに出てきた。
お茶菓子まで出してくれた奥さんは、この5ヶ月間に猫集落で起きた様々な出来ごとを話してくれた。いちばん大きな変化は、上の段の猫民家が空き家になったことだった。一人暮らしだった家主は体調を崩して里に下りてしまい、しばらく戻りそうにないとのこと。難民化した15匹あまりの猫は、下の段の奥さんが面倒を見るほかなかった。
田舎の小さな集落とはいえ、昭和時代のような濃い人間関係はすでになく、近所で起きていることまで窺い知ることはできなくなっている。築何百年かも分からないという、茅葺き屋根の古民家で暮らしていた婆さんは、近くの畑で倒れたまま翌日まで発見されなかった。こちらも里に下りたので、主を失った巨大な家は恐らくこのまま放置され、朽ちていくものと思われる。
猫たちの状況にもだいぶ変化があった。長くなるので、聞いた話をすべて書くことはしないが、少なくとも俺の左手に穴を開けた黒は死んだらしい。いつも膨らんだお腹を重そうにしていた多産の三毛も、避妊手術を受けた直後に死んだそうだ。
ひと月ほど前には、動物写真家のIWGさんがNHKの取材クルーとともに現れて、丸二日かけて猫の映像を撮っていったそうだ。タイミング的には、恐らく上の家主が里に下りたあとのことであり、平和だったころの猫たちとIWGさんが接することはなかったと思う。あの人懐っこくて凶暴な黒の存在もきっと知らないだろう。血だらけになってぱんぱんに腫れた俺の左手は、あの子が生きて世界と対峙した証だ。
奥さんと世間話をするうちに、猫たちもその辺を歩き回るようになった。小柄な黒白の後ろにあるのはラックレール式の運搬車で、荷物や人を乗せたケージ型の貨車が、30mほど下の車庫との間を行き来する。もっとも、今は猫の寝床になってしまって動かせないそうだけれども。
猫たちは人間とは距離を置いていて、近寄る素振りを見せるとすぐに逃げる。もともと他所の家の子なので、奧さんにもなかなか懐かず、未だに触ることもできないそうだが、空腹に懲りている猫たちは、それでもここを離れようとしない。
植木鉢の向こう側には茶トラ白もいた。現在、猫集落でモノクロ以外の毛色はこの子が唯一だと思う。
上の段では死んだ黒ととても仲良くしていた子(一例)。
君もだいぶ大人びたね。5ヶ月前はまだ子供の体型だったものね。
こちらの黒は凶暴な方ではなく、上にいた時からとても臆病な子。
なので近寄るとホームの下に降りてしまう。線路内猫立ち入りってやつだね。
最後に現れたのは最古参の黒白によく似た若手。恐らく孫か曾孫ではないかと踏んでいるが、確かめる術はもうない。
その最古参の消息を知りたかったが、この日はどこにも見当たらなかった。奧さんに訊ねてみたものの、ここは黒白が多すぎてどれのことだか分かってもらえず、あいにく猫サーバがダウンしていた時だったので、写真を見てもらうこともできなかった。
今でこそ限界集落という地位に甘んじているが、この集落を貫く細い杣道はかつて秩父へと通じていた往還で、その歴史は室町時代に遡るという説もある。明治時代には養蚕も盛んだったそうなので、遅くともそのころには猫たちが住みついて、ネズミから蚕を守っていたはずだ。山肌の小さな集落で紡がれてきた人と猫との長い歴史が終わりに近づいている。
この続きはまた今度、天気の悪い日にでも載せる(こちら)。