ここは台湾本島から北西に160km離れた絶海の孤島。人里離れた岬の灯台施設から毛むくじゃらの生き物が駆け下りてきた。
「嘿、那邊的遊客! 一起玩兒吧!(おーい、そこの観光客! 僕と遊ぼう!)」
こんなところに猫が現れるとは想像だにしていない。写真じゃ分かりにくいけど、ここ海面から100m近い崖の上だからね。
台湾旅行の初日(3月19日)、基隆から乗った新臺馬輪は時間ぴったりの運航で、東引島には1分違わぬ翌20日の11:30に到着。事前の打ち合わせ通り、港まで迎えに来てくれた宿の人には背中のリュックだけ預かってもらって、俺はその場で散歩をスタートするつもりだったが、いつの間にか意思疎通に齟齬が生じていたらしく、4km離れた灯台まで車で連れてこられてしまった。しかしこれは結果的に嬉しい誤算となり、このあと集落まで軍事施設だらけの無人地帯をしばらく歩く羽目になったことを差し引いても、忘れられない思い出として胸に残ることになった。
俺はこれから北の果てまで歩くけど、その前に少し遊んでいこうかな。
白い塀の向こうは崖だから、猫といえどもちょっとドキドキするね。
途轍もなく人懐っこい性格と立派な体格そして毛並み。身の上を案ずるまでもなく、誰かが世話しているのだろうと想像はついたが、あとで宿の人に聞いたところ、ここの灯台守が面倒を見ているとのこと。我が国では2006年に灯台の無人化が完了しており、灯台守という職業も過去のものになっているので、猫以前にここで人が暮らしているということ自体が驚きだった。灯台から集落までの道の景観も素晴らしく、俺が今までに渡ったことのある琉球嶼、蘭嶼、金門島、烈嶼といった台湾の離島の中でもダントツに良い印象だった。自宅を出てから36時間あまり、台湾最北の島を旅先に選んで本当に良かった。茶トラと遊んだ動画はこちら。
連江県に属する馬祖列島の島々の中でも、今回の旅先に選んだ東引島は空港がなく、俺がそうしたように基隆から船で一晩かけて渡るのが主なルートとなる。二次離島の東莒島や西莒島よりマシとはいえ不便なことに変わりはなく、日本人によるレポートも少ないので情報収集にはやや苦労した。特に戸惑ったのは、公式サイトのオンライン予約ページが外国からのアクセスを遮断していたことと、東引島発の船に乗る場合、乗船日前日に島内指定場所でチェックインしておかなければならないこと。ただ後者については宿の人が代行してくれたので現地で戸惑うことはなかった。そもそも東引島へ向かう船中、南竿島停泊中に宿から電話が入り、送迎の段取りなどを日本語で説明してくれていたので、離島に滞在することの不安はほとんど解消していた。あとで聞いたところでは日本語の分かる知人が代理で話してくれたそうだ。
東引島では今回の旅の目的の一つを果たす。それは台湾最北端の地に到達し、台湾最北端の宿に泊まり、台湾最北端の猫に会うこと。知っている人は知っていることだが台湾最北端は台北市や新北市ではなく、本島から遠く離れた東引郷の西引島にある。厳密に言えばここは中華民国福建省なので、「台湾の北端」という言い方だと台湾省たる本島になるのかも知れないが、彼の国における省は虚省化によって地方自治体の機能をなくしており、今は国土全体を台湾と呼んで差し支えないと思う。
……そんなわけで茶色い灯台守と別れたあとは、東引島のすぐ隣に浮かぶ西引島へと歩みを進めていく。樹木の少ない島は見晴らしが良く、点在するのは大部分が軍事施設のようだったが、たまに見かける民間施設にはちゃんと猫がいてくれるからありがたい。
逃げかかったのを何とか宥めてもう1枚。この島に民間人の上陸が許されたのは1994年からだそうだから、猫はそれ以降に持ち込まれたのかも知れない。それともそれ以前から猫はいて、前線に立つ兵士たちの心を慰めていたのだろうか。
灯台から1時間ほどで島唯一の集落に到達。気温は14.6℃でかなり爽やかだけど、猫は日陰に隠れているね。
俺を避けて集落の細い路地へと分け入る麦わら。もう1枚だけお願いしますよ。
この子もきれいな毛並み。きっと美味しい魚介類をたらふく食べているんだろうね。
猫とのんびり過ごしているところへ電話が鳴り、知らない番号を訝しみつつ出てみると、俺の行方を案じた宿の奥さんからだった。飲み物も持たずに出発したので水とクッキーでも持っていこうかとの提案だったが、ちょうどお昼にしようと思っていたところだったので、拙い英語と華語で精一杯のお礼を言って再び集落へ。ところがいつの間にか14時を過ぎてどの食堂も軒並み休憩時間に入ってしまい、店といえばコンビニぐらいしか開いていない。仕方なく鴨肉サンドと小さなバナナを買い込み、近くの東屋で淋しく食べる羽目になったのだった。
東引島から西引島ヘ全行程9.1kmの散歩はまだ続く。