台湾本島から北西170kmの台湾海峡に連なる馬祖列島は連江県に属し、中でも最北かつ最東に位置するのが東引島と西引島だ。両島はどちらも東引郷(郷は日本における村に相当)に属しているが、人が定住しているのは東引島だけで、1,500人余という人口の大部分は中柳村と樂華村(村は日本における大字に相当)の港湾地区に集中している。一方、馬祖列島全体が台湾の重要な軍事拠点なので、東引郷にも約1,000人の軍人が駐留しているそうで、こちらは東引島と西引島の両方に様々な施設が点在している。1994年に民間人の上陸が許されるまでは島全域が演習場だったものと思うが、散歩中にそうした痕跡を見ることはあまりなく、島内巡回バスや廟まで迷彩色で塗られていることに驚いたぐらいだった。野生の哺乳類は生息していない一方、海峡の中継地点という立地から鳥類は豊富で、中でもウミネコは世界最南端の繁殖地とされているそうだ。野生ではない哺乳類で最も多く見かけたのは猫で、これは俺が目を皿のようにして探し回っているわけだからまあ当然。猫がいるからにはネズミもいるのかも知れないが、2023年9月に進水したばかりの新臺馬輪に住みついているとも思えないし、本土から運ばれたのだとしたら民間航路が就航した2003年よりも前、当時行き来していたという軍艦や漁船に便乗してきたのかも知れない。なお台湾の離島に付きものの野良犬や野犬を見かけることは皆無で、かつて存在していたという軍用犬は銅像だけが残されていた。東引島の景色を収めた写真はこちら。
猫の方は前回に続いて中柳村の高台から。といっても中柳村と樂華村は小さな集落を分断するように真ん中で分かれていて、その境目のメインストリートは海食段丘に生じた谷間を埋め立ててできたそうだ。畢竟、散歩していればどちらも頻繁に行き来することになる。
指を差し出すまでもなく、にゃーと鳴いて近寄ってきた。人懐っこい子だ!
集落のあちこちに並んでいる甕は高粱酒の蒸留に使われたものかな。ここ東引島は高粱酒の産地として名高いそうだが、ほとんどが馬祖列島内で消費され、台湾本島ではなかなか手に入らないのだそう。なお並んだ甕にしれっと猫が紛れ込んでいる。
スリムな体躯は南国仕様? たぶんアンダーコートも生えていないと思う。
首には「MI」という名前が書かれていた(たぶん漢字で咪)。漢字圏の猫の名前って似通っているから親近感があるね。
東引島を歩き尽くした感でしおれた風体のまま、西引島の宿にたどり着いたのは灯台をスタートしてから3時間20分後。しかしここで散歩は終わりではなく、さらに北進して、あの丘の向こうの台湾最北端の地をこの目で見なければならない。とりあえず宿の人にひとこと挨拶をと思ってオレンジ色の建物を見ると、向こうにもこちらを見つめる物体が見え隠れしているではないか!
最初に遭遇した灯台守が台湾最北の猫だろうと思っていたのに、まさかさらに北の宿まで猫まみれだったとは!
今夜泊まるのは海角民宿という名の台湾最北の宿。予約サイトには対応しておらず、電話かSNSで直接予約するほかなかったので、意思の疎通に少し苦労したけど、頑張ってここまで来た甲斐があったよー。
いちばん偉そうな人に挨拶したいけど、眠気が勝るようで反応がいまいち……。
「僕が上奏いたしましょう。これでも次期ボスとの呼び声が高いんです」
キジ白に上奏を任せ、さらに北へ向けて歩き続けること15分。念願の台湾最北端の地に到達したのは日も傾いた16:12のことだった。俺は中学2年生(13歳)の夏休みに日本最北端の地である宗谷岬に赴いており、それから45年も経過してようやく台湾最北端の地を踏んだことになるが、あちらとこちらでは雰囲気がまったく異なることにも感慨を覚えた。宗谷岬の売店では「日本最北端到達証明書」なるものが売られており、100円だったので記念に買って今でも保管してあるが、台湾の最北端はただ荒涼として迷彩色の小さな東屋がぽつんと一つ建つのみだ。少し離れた坂の下には国軍の施設があって、機関銃を持った兵士が微動だにせず立哨している。片や日本だって40km北にロシアがあるのに緊張感がまるで違うのである。東引島や西引島は馬祖列島の中では大陸から遠い方だが、それでも最寄りの有人島まではたった35kmであり、時にはボートに乗った不審者が流れてくるそうだから警戒は怠れないのだろう。実際、俺が旅行に出る直前にも台湾本島と馬祖列島を結ぶ海底通信ケーブルが2本立て続けに切断され、島内のインターネット接続に影響があったそうだ。西引島で撮った写真はこちら。
最北端の地を踏んだあとは元来た道を引き返し、宿へ戻った時には17時近くになっていた。猫たちは道路の真ん中で寛いでいて、轟音を立てて通りすぎる軍用車両にも泰然として道を譲るなどしている。日が落ちれば満天の星空の下、入り江の向こうから射撃訓練の銃声が聞こえてくるから日本人にはやはり感慨深い。今回の旅は良い経験をしたと思いつつ、ベッドでスマホを眺めるうちにいつしか眠りに落ちたのだった。部屋に猫は来なかった。
次回、南竿編に続く。