首を長くしてご飯を待つ猫たちの眼前に飛んできたのはお肉であった。
前回から続く台湾猫散歩2日目の玉里散歩は終盤に近く、正午を迎えて賑わう市場の隅では猫たちもご飯タイム。地面に撒かれた生肉を貪る裏では、順番待ちと思しきキジトラがぽつねんとしていた。
すぐそばに美味しいものが散らばっているのに、この寂寥感は何だろう。力関係とか?
旗色が悪くなってきたため、再びお肉のところへ戻ると、あっという間に食べ終わっていた。
食欲が満たされたところで、ようやくこちらに興味が湧いたようだが、あいにくもう時間がない。次の目的地、池上へ向かうため、小走りで駅に戻ったのだった。
2014年の台湾猫旅では、台鉄(台湾の国鉄)の列車が満席ばかりで困ったが、今回はどの列車もすんなり予約できた。台鉄のウェブサイトで満席と出ても、乗車駅や降車駅を一つずらしたり、二区間に分割するなどの方法で検索すれば、予約できることがある。普通に買うより値段は高くなるが、数十円~数百円程度なので懐が痛むほどではない。日本でもJRの指定席を予約する際、似たようなことが起こるらしいので、システムの仕様なのだろう。ちなみに台鉄の優等列車は全席指定で、満席の時は無座(立席承知)で乗ることになるが、空いている席があれば、本来の客が現れるまで座ることができる(普悠瑪号と太魯閣号は無座での乗車不可)。
……長くなってしまったが、今回の旅行では玉里12:26発の莒光号だけが満席だった。予約の取りにくいことで知られる東部幹線とはいえ、花蓮から先がそんなに混むわけはなく、実際に乗ってみると車内はがらがら。やはりシステムが原因だと思いつつ、空席を見つけて座ったのが商務車(グリーン車に相当)で、検札に来た車掌に追い出され、普通車の隅っこに収まって30分ほど車窓を眺めていたら池上に着いた。
日本ではあまり見ないティックドタビー二毛。霜降りは東南アジアにも多いらしいので、交易とともに台湾から拡散したのかも知れない。しゃがんで舌を鳴らしていたら、犬に吠えられてしまった。アミ語とかで誰何されたら困っちゃうので、慌てて退散。
池上の滞在時間は50分。日本では村に相当する小さな郷に立ち寄った理由は、池上駅名物の「池上鐵路月台便當」を食べたかったからだ。月台というのは駅のホーム、便當は弁当の意味で、要するに池上駅の駅弁を食べに来たわけである。
前回の玉里鎮から県境を越え、ここ池上郷は台東県北部に位置する人口8,500人ほどの村落。台湾きっての米どころであり、「池上米」は今や台湾を代表するブランド米で、その米を使う池上弁当はとても美味しいと評判なのだそうだ。といっても莒光号の短い停車時間で買うつもりはなく、せっかく来たなら猫も探さなければならない。幸い、2匹目も労せず発見できたが、残り時間からして、池上猫はこの子で終わりそうだった。
目線を同じにして、ゆっくり指を差し出したら、指の匂いを嗅いでくれた。
池上は小さな街だが、公共施設が整備され、街なかも比較的きれいだった。恐らく住民の多くが農業従事者であり、池上米のブランド効果で税収が豊かなのだろう。弁当は2個買うつもりだったが、万一食べ切れなかった時の罪悪感を考えて、1個だけにしておいた。池上弁当は駅構内のほか、駅前の直売所でも売られている。いくつかの業者がある中、俺が選んだ全美行という店では、カウンターの店員に注文して代金を支払うと引換券を渡され、店内奥の引換所で弁当と交換する仕組みになっていた。正直にBiàndangと発音しなくても、「おべんとください」で通じた。
目的のお弁当を買って、次に目指すは2駅隣の關山。池上は小さな駅で優等列車の多くが通過するため、台東16:08発の列車に間に合うためには、普悠瑪号の止まる關山まで移動しなければならない。台東線は本数が少なく、適当な列車がなかったが、路線バスならちょうどいいのがあった。つまりここで訂正しなければならないのだが、「台湾を鉄道で一周した」というのは誤りで、池上~關山の12.1kmだけは路線バスに乗った。鼎東客運の8163系統という路線で、14:00に中山路の吉祥軒という弁当屋の前を出発し、20分ほどで關山に到着する。例によって乗る時に「關山站」と書いたメモを見せ、降りる時はお礼を言うのがお約束。無愛想な運転士をにっこりさせることに成功した。このバスは台東行きなので、そのまま乗っていても良かったが、少しでも時間を捻り出して猫を探さなければならない。
關山での猫関係業務は、バスを降りた14:20から、普悠瑪号発車までのわずか30分。可愛いの見つけちゃった。
首にぶら下げているのは予防接種済の鑑札で、台湾では時々見かける。105という数字は台湾の民国歴(西暦2016年)。去年生まれたことは見れば分かるけどね。
兄妹と思しき3匹に遊んでもらって、ふと時計を見れば発車10分前。後ろ髪を引かれる思いで駅に戻り、恐らくもう訪れることのない街をあとにしたのだった。
台東からは16:08発の普快車で枋寮を目指した。普快車というのは非冷房の普通列車のことで、台鉄の中で最低ランクに位置づけられる列車種別だ。古い日本製の客車列車が、台鉄でもとりわけ険しい南迴線(98.2km)を、2時間12分かけて走破する。走行中もドア全開で、時には客が転落して死人まで出るこうした列車は、1980年代までは日本の各所で当たり前に見られた。俺自身も高校の通学に利用していたので、ノスタルジーを感じるが、我が国ではとっくの昔に絶滅している。台湾でも台東~枋寮を結ぶ1往復が残るのみで、50年近く前に製造された古い車両ということもあり、廃止は時間の問題と思われるため、今回無理にスケジュールに組み込んだ(車窓動画はこちら)。
このブログは猫ブログなので詳細は割愛するが、10代に戻ったような2時間あまりの汽車旅を堪能して、宿泊地の枋寮にたどり着いたのは18:20。日本統治時代は日本最南端の駅だった枋寮は、とばりが降りてもまだ暑く、リュックを背負って歩いていると汗が吹き出てくるほどだった。
台湾猫散歩は残り4回。次回は朝の枋寮で出会った猫たちを紹介する。