俺は死ぬこと自体が極楽だと思っているので、喪に服すという概念を持っていない。にもかかわらず今般、四十九日が過ぎるまでは大人しくしていた方が良いと感じたのは、閻魔様の裁きがどうとかではなく、その期間、残された親族(特に喪主)はとてもストレスフルで多忙な日々を送ることになるからだ。ちゃんと休養しないと心も体も持たないよという先人の教えが、形を変えて現代に伝わっているのではないだろうか。一日だけの休暇にやるべきこと(やりたいこと)を全部突っ込むため、昨日は4時に起きて活動を始めたが、20時すぎには精根尽き果てて、ブログの更新もできずに寝てしまった。昨日の散歩で会った愛くるしい猫たちは明日載せるので一つよろしく。
今朝の出勤前の散歩は定番の東中野バス停~多摩センターを歩いた。雨が降り出す直前でかなり暗かったせいか、それほど多くは見かけなかった。
茶トラと黒白の関係は分からない。親戚でもない赤の他人(他猫)が一箇所に集まって、じゃれ合うでもなく、ただ佇んでいる場面を時々見るが、あれはいったいどういう関係性なのだろう。
とても臆病な子だが、今朝は逃げ切らない。まだご飯が済んでいないからと思われる。
最後の猫は谷戸公園近くに建つ高台の民家で見かけた。飄々とした感じの三毛だった。