1974年9月に狛江市で起きた多摩川堤防の決壊は、台風で増水した川の流路が二ヶ領宿河原堰によって妨げられ、左岸の堤防が洗掘されたことで発生した。付近の民家19棟が流失したが死傷者はなく、家を失った住民が国を相手取って起こした損害賠償請求訴訟は、1992年になって住民側勝訴との判決が確定した。濁流に家屋が呑まれていく映像は当時のニュースはもちろん、1977年に放映された「岸辺のアルバム」というテレビドラマにも使われた。流路を妨げていた二ヶ領宿河原堰は建設省と陸上自衛隊により爆破され、流路をまっすぐに戻すことから復旧が始まった。裁判終了後、旧堰堤の50mほど下流に新しい宿河原堰が設けられ、撤去された旧堰堤の跡地には「多摩川決壊の碑」が建てられている。
先日の台風19号がいよいよヤバいとなった時、多摩川のことを色々と調べていてこの水害を知った。死傷者がなかったにもかかわらず、狛江市はこの水害がよほど衝撃だったと見えて、同市のウェブサイトには当時の詳しい経緯がコラムとして書かれている(こちら)。猪方4丁目の河川敷に多摩川決壊の碑が設けられていることもその時に知り、いつか猫探しのついでに見に行こうと思っていたが、台風19号が去ったあと、このモニュメントが土台を残してなくなっているとあるブログに書かれていた。
前置きが長くなってしまったが、以上が今日の散歩の動機。夜勤明けに寄るにはやや無理っぽい場所だったが、休日を潰して行くほどでもないので頑張ることにした。ただし初めてのコースで猫に会えるか不安だったため、保険をかけて、まずははるひ野に住む馴染の猫たちの許を訪ねた。
ここはまだらファミリーの猫拠点。鉢割れを撮ろうとしてしゃがんだら、大白斑が割って入ってきた。
こいつも鉢割れと同じシルバースモーク白だと思うが、ソリッドの灰白にも見えるし、ブルータビーにも見える。色班が小さすぎて分からない。
少し離れたところにヨレたのもいた。ここまでティッピングが大きいとチンチラのレベル。
大白斑は俺の行動に興味があるらしく、つかず離れずでずっとこちらを眺めていた。目つきが険しすぎて感情が読めない……。
結果から書いてしまうと、今日の猫は2グループ4匹。民家の庇に佇んでいた三毛が今日の最後。
お日さまを待っているのだとしたら、当分先だと思うよ。今夜からしばらく雨だから。
このあと再び電車に乗って登戸へ移動し、猫を探しながら多摩水道橋を渡って、狛江の河川敷に行ってみた。冒頭で触れた多摩川決壊の碑はやはりなくなっていて、台風19号の濁流で流されたのだろうと思っていたが、国土交通省の京浜河川事務所に問い合わせたところ、台風の来襲前に狛江市によって取り外され、大切に保管されているとのことだった。今日はこのほかにも「日の丸猫の写真を飼い主宅のポストに放り込む」という重要なミッションがあったが、そちらも無事にコンプリートできた。