東京のような巨大都市でも、竹富のような洋上の小島でも、人々の暮らしにとって最も大切な資源は水だ。東京の場合、江戸時代に開削された玉川上水だけでは明治以降の急激な都市化に対応できず、1927年に村山貯水池が、1934年に山口貯水池が相次いで建設され、それでも間に合わなかったので、1957年には奥多摩町に堤高149mの小河内ダムが建設された。
一方の竹富は標高わずか33mという山も川もない島で、こちらも昔から水不足が悩みの種だったようだ。かつては雨水を溜めたり、カーと呼ばれる浅井戸を掘ったり、それでも足りない時は石垣島や西表島から船で運んだりしていたが、1976年に石垣島との間に海底送水管が敷設され、島内に念願の上水道が整備された。とはいえ石垣とて島であり、よその自治体に使い放題にさせるほど水があり余っているわけではない。最近は竹富にもリゾート型ホテルができて、より多くの水が必要になっており、その一方で海底送水管の老朽化が進んでいるため、今でもたびたび断水が起きるという。
なぜ冒頭からそんなことを書いたのかというと、竹富で口にしたほぼすべての飲食物が美味しかったにもかかわらず、水道水だけは恐ろしく不味かったからだ。それまで俺が経験した中で最悪だった大阪市を遥かに凌ぐ不味さであり、水道水が飲用に適さないとされる台湾よりも不味かった。その時初めて俺は竹富の水の貴重さに気づき、どのように水源を確保しているのか調べてみようと思ったのだった。
……というわけで今日は竹富猫散歩の最終回。沖縄東北猫旅の2日目(9月30日)は、午後の船で石垣へ戻り、そのまま飛行機を乗り継いで青森県八戸市へ移動することになっている。残された時間で訪れたのは、島の西側に位置するコンドイ浜だった。
猫が多いと言われるコンドイ浜だが、この日はかなり風が強く、猫の姿も人の姿も少なかった。石垣島のアメダスでは最大瞬間風速12.3m/sだったそうだが、ここでは20m/sくらい吹いていたように思う。
強い北風を避けるため、猫たちもお尻を北にして並んでいる。
この子たちは黒猫というより、限りなく黒に近いスモークのようだね。
特にこちらはアグチパターンがはっきり残っている。ティッピングも見えるので、分類するならsmoked silver tabbyだろうなあ。
黒っぽい面々とうだうだやっていると、騒ぎを聞きつけた茶トラ白が現れた。
大人しい子なのでモデルになってもらった。天気はあまり良くないが、白い砂と青い海によく似合う毛色。
干潮時は背後の海に大きな砂州が現れ、人も猫も歩いて渡れるそうだ。ちなみにコンドイ浜のコンドイとは、現地の言葉でナマコのことで、この一帯は避けて歩くのが難しいほどナマコが多いらしい。食べるのはいいけど踏むのはちょっと……。
この子は耳が大きくて細面の南国風。耳の先には房毛もあって、内地の猫とはちょっと違う。そして何よりものすごく人懐っこい。
どうやっても止まってもらえないので、スチール写真を諦めて動画を撮った(こちら)。風が強かったので、吹かれノイズがものすごいことになってしまった(なので音量注意)。
9時半すぎになってビーチに移動販売車が現れた。観光客も少しずつ増えてきて、猫とのびのび遊ぶのもそろそろお開きだ。妻へのお土産に星の砂でも見つけて行こうと思い立ち、カイジ浜を回って宿へ戻ることにして歩き出すと、車の向こうに毛繕い中の猫がいることに気づいた。
俺の知る防潮林というとクロマツやアカマツだが、ここではハスノハギリが使われているそうだ。今日は風が強いので、猫たちはこういうところに潜んでいるのだろうな。
人も増えてきたことだし、そろそろ行くよ。みんな元気でいてね。
コンドイ浜以上に猫が多いと聞いていたカイジ浜に猫の姿はなく、星砂海岸では星の砂を見つける代わりにヤドカリと戯れた。集落のあちこちに寄り道しながら宿の近くへ戻ったころには10時を回っていて、集落には朝の船で渡ってきたと思しき観光客がたくさん出歩いていた。帰りの船が出るのは13:20であり、まだまだ時間は残っていたが、天気が回復して暑くなってきたのと、すでに7.2kmも歩いていたので、もう充分だった。
疲れた体を休めるために立ち寄った赤瓦の東屋には先客がいた。今朝早く、井戸のところで見かけた黒だった。
宿に戻って体についた塩を洗い流し、午後の船で石垣へ戻る。新石垣空港からは名古屋経由で仙台空港へ、さらに新幹線に乗り換えて八戸へと向かった。最後に会った黒の柔らかな被毛の感触は、青森までずっと手のひらに残っていた(続く)。