やる気満々で始めた冬仕度だったが、日中の気温が上がって夏日(25.3℃)を記録するに及び、果たして今日のうちに石油ストーブやこたつ布団まで出すべきなのか疑問に思えてきた。逆に一度片付けた扇風機が、風呂上がりにはまだ必要だったりもして、何となく方向性の定まらない冬仕度になってしまった。結果的にはこたつ布団は敷き物だけに留め、石油ストーブを出すのは後日に持ち越した。
家事に集中するべく散歩をお休みしたため、今日の記事は沖縄東北猫旅の3日目(10月1日)、北三陸で会った猫たちの紹介となる(前回はこちら)。この前日、13:20発の船で竹富島から石垣へ戻った俺は、空港内で石垣牛カレーを食したあと、15:10発の全日空580便で中部国際空港へ飛んだ。もちろん名古屋に用があったわけではなく、そのままIBEXエアラインズ45便に乗り継いで仙台へ。仙台からは20:55発の東北新幹線「はやぶさ43号」に乗り換え、宿泊地の八戸にたどり着いたのは夜も更けた22:05だった。二つの空路の搭乗時間は合計3時間35分で、羽田から台北松山へ行くよりも短かったが、宿に着いた時は疲れて気絶しそうになっていた。竹富島で10km近く歩いたあとの大移動なので疲れるのは当たり前だが、飛行機でただ座っているだけの時間が、思ったよりも体を休めてくれないことを知った。宿泊先を駅ナカのホテルメッツにしておいて本当に良かった。
竹富は最低気温24.9℃、最高気温29.2℃という常夏の環境だったが、この日目覚めた5時半の気温は11.6℃。散歩開始地点の陸奥湊まで乗った八戸線の列車では、通学の高校生がコートを着ているくらいだった。八戸駅からスタートしなかったのは、この駅が八戸市の中心部から離れたところにあるからで、事前にGoogleのストリートビューで良さげな町並みを探した結果こうなった。ただしこの目論見は成功したとは言えなかった。
1匹目に遭遇するまでに要した時間は約30分。高台の住宅地に黒っぽいのがいた。
初めての八戸猫はいきなりのスモーク。キジ白か黒あたりだろうと思っていたので、ちょっと意外。
さらに逃げられて数軒隣の家に先回りしたところ。東北の猫は沖縄よりもだいぶ警戒心が強い。
引くとこんな感じ。うみねこレールというより、ねこレールだね。
ホームの上から呼んでみても、こちらを気にする様子は見せるものの、近寄っては来ない。東北猫はシャイだな。
八戸散歩は陸奥湊〜鮫の2駅間を2時間50分かけて歩いて、出会った猫は以上の3匹。雨こそ降らなかったものの、どんより曇った空模様が災いしたのかも知れない。鮫からは10:28発の久慈行き普通列車に30分あまり揺られ、次に下車したのは種市。ここでも2時間近い散歩時間を確保していたが、歩けど歩けど猫の姿は見えず、諦めて駅へ戻ろうとした時になって、ようやく1匹目に遭遇した。
判別不可の時は、より野生型に近い方に分類しておくことにしているので、君のタグはサバ白ね。
……と、サバ白相手にうだうだやっていると、その手前に1匹増えているではないか!
その傍らにはでかい茶トラ。もしこの子が母親だったら、子供の毛色には必ず茶色が混じるはず。なので無関係な誰か。
生後3ヶ月ってところかな。天真爛漫すぎてカメラがなかなか追いつかない。
種市というのは岩手県の最北に位置する人口14,000人ほどの街で、かつては九戸郡種市町と称していたところ、2006年に西隣の大野村と合併して洋野町になった。岩手県ではあるが、地理的にも経済的にも青森県八戸市との繋がりが強く、人や車の往来も多い。中学生のころ、ここから転校してきた女生徒が大変な美人で学校中が大騒ぎになり、それから40年経った今、わざわざ下車して猫を探す運びとなった。
東日本大震災で種市には10mの高さの津波が押し寄せたが、この街には以前から高さ12mの防潮堤があり、住民の避難対応が良かったこともあって、三陸沿岸の市町村で唯一、人的被害がなかったそうだ。猫を探しているうちに、その防潮堤の向こうとこちらを何度か行き来したが、住宅のない海側に陸の生き物がいるとはとても思えず、散策は早々に切り上げた。恐らく猫的被害もほとんどなかったものと思われる。
次回は三陸をさらに南下し、久慈の猫たちを紹介する予定。