それにしても生き物の仕組みというのは不思議に溢れている。普段はIgM五量体とくっついて血中を漂っているAIMが、腎臓の老廃物を検知すると、わざわざフリー体となってお掃除に行ってくれるという。ところがなぜかネコ科動物に限っては、腎臓の老廃物を検知しても、AIMはIgM五量体とくっついたままで働こうとしない。それは一見すると生きるために不利な欠点に思えるが、長い時間をかけて進化を遂げた結果である以上、何かしらの理由があるはずだ。例えば砂漠という飲み水の極端に少ない地域で確実に世代を紡ぐため、腎臓を使い捨てにするという選択かも知れない。たくさんの仔を産み、早期に成熟させ、それが済んだらさっさと寿命を迎えて、次世代に水場や食糧を引き継ぐという生き方(あくまで仮説)。ネコ科動物のAIMがほかの動物のように働かないのはなぜなのか、個人的にとても興味深い現象だと思う。
……などというようなことを考えながら過ごした夜勤を終えて、職場をあとにしたのは10時すぎ。今日は去年11月を最後に会えていないあやめちゃんを訪ねて、多摩境〜相模原の5.6kmを1時間半かけて歩いた。冷たい雨がようやく上がって明るい朝を迎えたつもりが、多摩境の駅舎を出てみるとなぜが冷たいものがぽつぽつと頬に当たる。最近天気予報に対して呪詛を呟くことが増えたなーと思いつつ、1匹目に遭遇するまでには35分を要した。
驚いたようにこちらを振り向く麦わら。逃げられる気しかしない。
あやめ邸へ至るの路地の入口。馴染の鼻黒がこちらを向いて鳴いていた。
呼んだら来た。あやめちゃんの知りあいが自主的に近寄ってくるのは極めて珍しい。
盛んに鳴いている。先にあやめちゃんちに行ってくるからちょっと待っててね。
5ヶ月も会えていないあやめちゃんは今日も不在。消息を知りたくて自宅を訪ねてみると、玄関ドアは開くもののチャイムを押しても応答がない。飼い主の婆さんは近所へ出かけているのか、それとも要介護となってベッドで休んでいるのだろうか。
あやめ邸から戻った俺を塀の上の猫が眺めていた。
この辺りをシマにする茶トラ白。あやめちゃんの家、猫も人もいないみたいね。
あやめちゃんの相方には先月も会ったばかりだが、珍しいことに今日はその相方も不在だった。近いうちにまた来てみるかー。
あやめ邸のあとはぼちぼちという感じ。1月下旬にも見かけたキジ白が今日もいた。
2匹の猫を見つけて満足して立ち去ろうとした瞬間、隣の家にも猫がいることに気づいてのけぞった。
芋ずる式の3匹目。こちらは去年8月以来。
散歩を終えたのは正午すぎ。片倉〜京王片倉の乗り換えのついでに三船敏郎の猫マンションを覗いていると、顔見知りのキジトラがこちらを窺っていた。
こちらも先月会ったばかり。かつてこの辺りにはたくさんの猫が暮らしていたが、今はこいつぐらいしか残っていない。
近寄ったら車の下に隠れて、立ち去ろうとしたら逆サイドから出てきた。懐くのか拒絶するのかなかなかはっきりしないヤツだな。