せっかくの大晦日なのに微妙に頭が痛くてちょっと辛い。せめてゆく年くる年を見てから寝たいと思っているが、それまで持つかどうか分からない。来年も平日勤務が続くとは限らない(むしろ続かないと思っている)し、今回だけでも普通の年越しを楽しみたいんだがなあ……。
文章を書くのも少ししんどいが、昨日の奥多摩散歩の続きを紹介して今年の筆を置くことにする。氷川の街なかを1時間半ほど歩き回っているうちに、雲がかかっていた空はすっかり晴れ渡り、こうなると逆に太陽が稜線に隠れるまでの残り時間が気になってくる。冬場に奥多摩を訪れることは多くないが、周囲を山に囲まれた猫集落は11時すぎには日が翳ると記憶している。きっと今ごろは貴重な日なたで猫たちが毛繕いしているものと思われ、いても立ってもいられなくなって駐車場へ向かったのだった。
その道すがらにも日差しに誘われた猫が現れる。
しかし、目が合うなり逃亡。一瞬見失ったが、数分後に再び発見した。
大きなバケツの向こうに小さなバケツ。お水を飲んでいたんだね。
猫集落にたどり着いたのは10時半前。8月以来の4ヶ月ぶりではあるが、あの時は真夏でほとんどの猫が出払っていたし、その前となると去年の10月なので、ずいぶん久しぶりという感覚だ。下の段の縄張りには斥候役の猫がいてこちらを見張っていた。
懐く兆しをまったく感じさせない顔つき。斥候が敵に取っ捕まったんじゃ斥候にならないものな。
そして、そんな俺たちの様子はちゃんと見られていたのだった。みんな元気かー。
どれも見覚えのある顔ばかり。ここまで遠かったけど来て良かった。
この子は去年4月以来の二度目。ずいぶん大きくなったね。
下の段の猫民家に備え付けのモノレールは猫の遊び場と化している。レールの錆からするとあまり稼働していないみたいだね。
「僕たちのご飯を上げ下ろしするのに使っているよ。一度にたくさん買うから重いんだって」
以前も書いたが、細い杣道に沿って建つ猫集落の民家の多くは車の乗り入れが不可能なので、標高の低い車道から自宅へこうしたモノレールを使って荷物を運び上げている。猫の数が多かった時は完全に猫の寝床になっていたようだが、今はそうでもないらしく動かそうと思えば動かせそうだった。
家の人は年末の大掃除中。突然訪ねた俺を招き入れて生姜茶をご馳走してくれた。恐縮至極にござりまする。
奥さんが面倒を見ている猫は5匹程度だそうだが、実際はもっとたくさんいそうだった。上の段の家主が病気で里へ下りた時、難民化した猫の多くはこの家を頼ったようだが、中には自給自足に成功して野猫化したのもいるのかも知れない。
大掃除の手を休めて話してくれた奥さんにお礼を言って辞去すると、先ほどの斥候が遠くからこちらを眺めていた。春になったらまた来るよ。
空き家といっても厳重に封鎖されているわけではなく、壁に隙間があったり猫用の穴が空いていたりして動物の出入りはたやすい。猫だけでなくハクビシンや狸などの小型哺乳類が寝泊まりしている可能性はある。このままでは色々と差し障りがあると思われるが、こんな険阻な土地では解体するにも費用が嵩むし、いずれは集落ごと消滅する運命だろうから、朽ちるに任せる方を選ぶのかも知れない。
2016年11月に初めて会った時もこの子はここで休んでいた。今はもう誰もいなくなった階段だが縄張りを変えるつもりはないようだ。
思えばさっき下の段で会った猫たちも、もともとこの家で生まれ育ったのだった。レールの上でちょこなんとしていた黒白も、逃げ足の速い斥候も、2020年10月にここで見かけた時はまだ子猫だった。あの猫たちが今もこの家から山並みを眺めることはあるのだろうか。
奥多摩の帰り道、朝にも立ち寄った渓谷の駐車場を覗いてみた。まだ11時半だというのに山の北斜面はすでに日が翳り、目当てのキジ白はいくら舌を鳴らしても出てこない。15分ほど待ったのち、諦めてアプローチの坂を上っていると、軽トラの上に黒いのが乗っかっていることに気づいて急停車。近寄ってみると向こうもこちらを凝視していた。
去年3月、今朝の黒白とセットで見かけた黒。黒白はその後も何度か会っているが、この子は最初に会ったきりで今回が二度目。元気そうで良かったよ。
2022年の猫散歩はこれでおしまい。年明けは仕事が始まる前にどこか海辺の街を散歩したいな。