1ヶ月以上にわたり続いてきた台湾猫旅のレポートも、残すところあと1回となった。雲林県虎尾鎮で迎えた帰国日の朝は、すっきり晴れ渡って絶好の散歩日和となり、虎尾からサトウキビ農場へ続く線路端には、ぽつぽつと猫たちの姿が見られた。
前回の記事でも触れたように、かつて台湾南部には、サトウキビ運搬のための軽便鉄道が、網の目のように張り巡らされていた。製糖産業の斜陽化や道路交通の発達に伴い廃止が進み、現在は虎尾糖廠と褒忠郷の龍岩農場を結ぶ15kmほどが残るだけとなっている。こうした軽便鉄道はサトウキビを運ぶだけでなく、旅客輸送の役目も担っていて、最盛期の虎尾には、北港線、龍岩線、崙背線、西螺線、莿桐線、斗南線、大林線の七つの路線が乗り入れていた。とりわけ営業成績の良かった北港線は一日最大32往復の列車が設定され、6千人もの利用者を運んでいたそうだ。北港には台湾媽祖廟の総本山があるそうなので、参拝客の利用が多かったのだろう。台湾糖業鉄道の旅客営業は1982年まで続けられた。
下の写真はそうした軽便鉄道の廃止路線。屋根の上には猫がいる。
「お前は見たこともないことをさも見て来たかのように言うヤツだな」
片耳だけ垂れたキジ白が呆れたようにこちらを眺めている。折れ耳遺伝子って不完全優性だっけ?
長雨で湿った毛皮を乾かす猫発見。気温の低い朝だからか、みんな目立つところで日に当たっている。
毛色が微妙だが、首回りの赤っぽいのはO遺伝子由来だろうと推定して、二毛に分類した。台湾のキジ系は赤茶けたのが多いから、こういう時とても悩む。
虎尾糖廠の一角には虎尾駅の旅客駅舎が今も残り、ビジターセンターとして活用されている。中は売店やギャラリーになっていて自由に見学できるが、改札の向こうは工場敷地内なので立ち入れない。台湾風の「虎尾車站」ではなく、日本統治時代のまま「虎尾驛」と表記された駅舎を外から眺め、猫がいないことを確認したあと、とある路地に入るとすぐに黒いのに遭遇した。
トレイに乗った焼き魚が置いてある。おっかなびっくりなところを見ると、よそ者が縄張りを越境して来たのかも知れない。
本来この日の朝は台東市内で猫を探し、午前の飛行機で台北へ戻る予定だった。雨リベンジのため、台東をやめて虎尾を再訪することにしたわけだが、そのあとどうするかはあまり考えていなかった。軽便鉄道の時代と違って、今は近隣の街へ行くにはバスしかなく、路線によっては運転本数が極端に少ないので、油断すると帰りの飛行機に間に合わなくなる。
周辺地域の旅客輸送を一手に担う台西客運のウェブサイトと睨めっこした結果、バスの便数が多くて安心な西螺へ向かうことにした。西螺は虎尾の北、約10kmに位置する人口47,000人ほどの鎮で、主な産物は米と醤油。延平老街と呼ばれる大通りには日本統治時代の歴史建築が残され、現代の日本よりも日本的な景観を楽しむことができる。
……そうなってくると残り時間は15分で、急に慌ただしくなった。目抜き通りのバスターミナルへ急いでいると、足を止めざるを得ないものが目に入ってきたではないか。
君たちってば、ゆっくりしている時はいないのに、急いでいる時に限って出てくるね。
「僕たちは日なたぼっこしていたんだよ。怖いからあんまり近寄らないで」
あとから出てきたキジトラは警戒モード。顔つきが似ているのできっと兄弟なのだろうな。
時間がないので最後の1枚と思い、引いて撮ったらもう1匹いた。あれはきっと母であろうな。
虎尾を出発したのは9:30。台西客運7118系統で約50分の道のりだが、帰国日でケツカッチンのため、現地に滞在できるのは1時間もない。かつて西螺へ行くは西螺線という軽便鉄道の路線があり、今回雨のため泣く泣く諦めた台西にも乗り換えで行けたという。広大なサトウキビ畑を小さな客車に揺られて進む気分はどんなだったろうか。もしその時代に来ていたら、あまりにも楽しすぎて、最低でも1ヶ月は帰らなかっただろう(というかそのまま移住したかも)。
西螺着は10:20。やや急ぎ足で歩き始めると、ほどなくして最初の猫グループに遭遇した。
顔つきはフレンドリーに見えなくもない。時間に追われるとダメなのはどこの国でも同じだな。
奥の方へ引っ込んでしまうほどではないが、呼んで出てきてくれるわけでもない。いわゆる一つの膠着状態に陥ってしまい、時間もないのでその場をあとにした。
延平老街へ向けて細い路地を歩いていると、行く手に三毛が見えてきた。
大きな鈴をぶら下げている。近所の飼い猫のようだから、近寄っても大丈夫かな。
帰りのバスに乗り遅れることはできない。あちこちからにゃあにゃあ聞こえる西螺の路地を残り23分で通り抜けられるのか、猫好き日本人の試練は続くのであった。続く。