蘭嶼は台東市の南東沖約90kmの太平洋上に浮かぶ周囲38.5kmの孤島で、人口は約5,300人。小蘭嶼と称する無人島やいくつかの岩礁とともに台東県蘭嶼郷に属している。フィリピン領最北のバタン諸島マヴディス島から100kmと近く、蘭嶼住民の8割ほどを占める達悟族の祖先はチヌリクランと呼ばれる伝統的な木造船でこれらの島々を行き来していたそうだ。すべての台湾原住民はオーストロネシア語族に属し、人類拡散に伴って中国大陸から台湾そしてフィリピン方面へと移動したグループだが、現代にあっても海洋民族として暮らしているのは達悟族のみ。日本人とは異なる拡散ルートを辿ったグループなので、そこに暮らす猫たちの毛色にも特定の傾向があるのではないかと疑い、一度は訪れて観察してみたいとかねがね思っていた。当初は2時間半という短時間の滞在予定だったが、それでは何もできないと思い直して1泊することにしたのは前回の記事に書いた通り。
蘭嶼へ行くにはいくつかのルートがあり、最もメジャーなのは台東市の富岡港から出ている高速船で2時間半。ただしこれは外洋を航行するのでめちゃめちゃ揺れるらしく、船内に大型ゲボバケツが設置されているのは有名な話だ。次いで利用されているのが台東空港〜蘭嶼空港を30分で結ぶ飛行機だが、こらちはDHC-6-400型という小型機で定員が19名と少なく、オンシーズンになるとプラチナチケットと化し一瞬で売り切れる。飛行機を運航している德安航空のウェブサイトには飛行の気象条件が事細かに書かれていて、この地方の風が強いことを予感させたが、俺が懸念していたのは帰りの便が欠航することぐらいで、その場合はゲボバケツ船に乗って帰ればいいと思って飛行機を選んだ。
台湾猫旅4日目(3月22日)、德安航空7507便は定刻の12:25に台東空港を離陸。台湾の国内線は電子機器の取り扱いに厳しく、飛行中は機内モードではなく電源を切ることを要求され、ほとんど写真を撮ることはできなかったが空は青く澄んでいて、それほど風が強いとも感じなかった。
蘭嶼空港から1kmほど離れた宿にたどり着いたのは13時半前。出迎えを断って歩いてきたので場所が分からず、一つ一つ覗いてみた路地の何本目かで猫が寛いでいた。俺の宿はどこでしょう。
記念すべき蘭嶼の1匹目は麦わらさん。とりあえずチェックインして荷物を置いたらまた来るよ。
こうしてみると南方の猫らしい細面で、耳もやや大きく見えるけど、台湾本土や日本の猫と明らかに違うというほどではないね。
宿はほどなく見つかりチェックインも済ませたが、レンタサイクルは提携業者が受け渡すとのことで、女主人の運転するスクーターに乗せられて手続きを済ませた。ちなみに宿泊料金1,600元(約6,900円)は今回の台湾猫旅の最高額で、加えて自転車のレンタル料が500元(約2,200円)。宿も自転車もそれに見合ったクオリティかというとかなり微妙で、特に自転車は何も考えずにボロいママチャリを選んでしまい、最初に向かう東清集落への峠越えで一度目の体力的な死を迎えることになった。
標高10mの海岸道路から220mの峠までの距離が2.1kmだから平均勾配は10%となりママチャリにはキツい。時間の経過とともに雲が消えて気温が上がり、立ち漕ぎどころか押して歩くのもやっとで、1分進んで3分休むというようなことを繰り返して、7.3km離れた東清集落へたどり着いたのは出発から1時間40分後のことだった。想定外に時間がかかったことで、このあとの散歩スケジュールが押してしまうのが残念だったが、エメラルドグリーンの海沿いにカラフルなブロックを並べたような集落の眺めは目が覚めるようで、死にそうになって坂を上った苦労は報われた(写真あり)。猫を探すだけなら山越えまでして島の東側へ行くことはなかったが、野銀という集落に残る達悟族の伝統建築を見てみたかったので今回は頑張った。蘭嶼付近は熱帯低気圧が発生しやすい「台風のゆりかご」というべき場所で、強い風に耐えられるよう、中国語で「地下屋」と呼ばれる木造の半地下式住居が使われていた。現在は台湾本土と同じ鉄筋コンクリート造の家屋がほとんどだが、野銀には比較的多くの地下屋が残されており、観光客向けに内部を公開したり宿泊施設になっているところもある。
峠越えのあとは下り坂を突っ走り、海沿いを10分ほど北上して最初の散歩地である東清村には14時ちょうどの到着。集落を行き来する猫はすぐに見つかった。
蘭嶼の猫はきれいな印象。日陰で涼む白もどこかの飼い猫かしら。
せっかくだから親睦を深めていきたいな。慎重に近寄ってみよう。
予定より時間が押しているので日が傾いてきた。急がないと野銀へ行く前に日が暮れてしまうなあ。
野銀にたどり着いたころには太陽が山に隠れてしまい、集落のメインストリートには夕涼みと思しき猫やその他の生き物が佇んでいた。
商店の前に張り付いた黒白は大きな声で鳴いている。ご飯を催促しているようだ。
「お安い御用」とばかりに姿勢を崩してくれた黒白。ほどなく扉が開いて商店主の婆さんが顔を出すと、猫は可愛らしい声でにゃーんと鳴き、俺は你好と挨拶して飲み物を買い求めた。日本人というのは黙っていてもそれと分かるものなのか、謝謝と言って代金を渡す俺に「ありがとねー」と返してくれてのけぞったが、かなりお年を召していたので日本語教育を受けた世代か、あるいは達悟語と日本語のちゃんぽんで生活している人なのかも知れない。蘭嶼では高齢者に日本語を話す人が多くて嬉しいような懐かしいような不思議な気分だったが、若い世代はもっぱら台湾華語を話しているようだった。
次回は夕闇迫る野銀の猫たちをもう少し紹介する。