そろそろ髪を切りに行っておかないと、次に切るタイミングが年末年始に被るので、仕事帰りに床屋に寄るつもりで予約もしていたが、疲れてしまって行けなかった……。特に忙しかったわけではないし、それなりに仮眠も取っているが、最近は夜勤明けに何かするのが辛い。明日は猫サーバのクリーンインストールで丸一日潰すので、動作確認用のネタ収集も兼ねて、近所を少し歩けたらいいなと思っている。
今日載せるのは今月2日、10ヶ月ぶりに赴いた奥多摩猫散歩の最終回。俺が奥多摩猫集落と呼び、かつては少なくとも数十匹に及ぶ猫たちが暮らしていた山間の小さな集落は、人口減少に合わせるかのように猫も減り、面倒を見ている家の奥さんによれば現在残っているのはわずか6匹。前回の記事ではそのうち5匹を紹介しているので、残りは1匹ということになる。奥さんに挨拶して別れ、次の散歩地へ向かうべく集落の平場に戻ってみると、どこからか威嚇して鳴き合う猫の咆哮が聞こえてきて、しばらくその場で耳を澄ませていると、果たして先ほど空き家の屋根の上にいた黒白が現れた。
警戒心が強くて近寄ることはできない。残りの1匹は最後まで現れなかった。
この細い杣道は1942年まで氷川と日原を結ぶ東京府道242号に指定されていた。日原の先はさらに一杯水を経て秩父へ至る往還が存在し、その歴史は室町時代まで遡るそうだが、現在では日原から先のルートは完全に消滅しており往来はない。一方、氷川から日原までは1960年ごろ都道204号が整備されて車が通れるようになり、その際この杣道はルートから外れ、猫集落で行き止まりとなってその先は放棄されている。俺がここを訪れるようになった2010〜2015年ごろまではバス停へ向かう人や散歩の往来があったが、今は通る人もほとんどなくなり、いずれは秩父往還と同様に集落ごと緑に埋もれる運命だろう。我が家の猫サーバは俺が死んだら止まるが、Internet Archiveなどで未来の人がこのブログを見ることがあるかも知れないから書いておく。2020年代にはまだここに人と猫の暮らしがあった。
猫集落の次に訪れたのは17kmほど離れた留浦の外れ。この一軒家では家主の婆さんとともに何匹かの猫が暮らしている。
近寄ろうとすると隠れるのに、離れる素振りを見せると追いかけてきて、こちらをじっと見つめている。行ったり来たりエンドレスだけど可愛い。
窓から顔を出した婆さんの説明によると、この子が黒白のお母さんなのだそう。ほかにも子猫がいるというので辺りを見回すと……、
留浦をあとにして帰途についたのは正午前。奥多摩の集落を巡る時はカーシェアリングの利用時間を5時間45分で予約しているが、町内最北の日原と最西の留浦を掛け持ちするとなるとぎりぎりで、帰る段になってから慌てて延長するのが常だ。辺境の日原へわざわざ赴くのはそこに猫がいるからで、この日も2匹の子猫を見かけたものの臆病すぎて撮影不能。5時間45分という中途半端な利用時間にする理由は、俺が利用しているタイムズカーの場合、利用時間が6時間を超えると距離料金が加算されるから。例えば「ベーシック」という小型車クラスを借りて100km走った場合、5時間45分までなら時間料金の4,290円で済むが、6時間だと全区間に16円/kmの距離料金が加算され、4,290円+1,600円=5,890円になってしまうという寸法(しかも来年2月から20円/kmに値上げ予定)。なのでこの15分は割と切実で、できるだけ5時間45分以内に青梅のステーションに返却するようにしているが、道すがらに猫がいるとなれば会いに行かないわけにはいかないのである。
道路向かいへ移動する黒白を目で追うと、その先に黒もいた。まあどちらも知らない顔ではないのだけれども。
ここは山腹トリオの駐車場。こちらの黒は相方の黒白とともに一昨年3月からの顔見知り。
黒の相方はこちら(たぶん兄妹)。この日は少しだけ顔を出してすぐにどこかへ行ってしまった。
相方じゃない方の黒白を初めて見かけたのは一昨年10月。当時はかなり警戒されてなかなか茂みから出てこなかったが、久しぶりに会ったらすっかり人懐っこい猫になっていた。
俺が初めてこの場所で猫に会ったのは2008年10月のことだった。かつて山腹トリオと呼んだ猫たちは何年も前に姿を消し、最後まで残った人懐っこいキジ白も最近死亡したとのこと。このベンチで今ここに暮らす猫に会えたのは嬉しかったし、先人たちもきっとごろごろと喉を鳴らしてあの世から眺めていることだろう。