北港は雲林県に属する人口約41,000人の鎮で、台湾島を伏せた猫の背中に例えるなら左後ろ足に位置する内陸の街だ(鎮は日本における町に相当)。かつては台湾糖業鉄路で嘉義や虎尾と結ばれていたが、現在は路線バスが唯一の公共交通機関で、旅行者にとっては行きにくい場所の一つになっている。
四国・台湾猫旅4日目(3月22日)の散歩は北港からスタートしたが、この前夜は30kmも離れた斗六に泊まったので、早朝一番のバスに1時間20分も乗らなければならなかった。北港で朝の散歩をするなら北港に泊まればいいものを、そうしなかったのには色々と理由があるのだが、経緯を全部説明するときりがないのでかいつまんで書いておく。鉄道のない雲林県西部はとにかく移動が不便で、バスの路線網は充実しているものの運転本数が少なく、県内のあちこちを散歩するとなると順番や滞在時間が限られてくる。当初この日の散歩は西螺から始めるつもりだったが、オフシーズンの平日にもかかわらず西螺中の宿が満室だったことが一つ目の誤算だった。仕方がないので前泊地を鉄道沿線の斗六にして、翌朝一番のバスで西螺へ向かうことにしたが、今度は西螺から先の乗り換えがうまく繋がらない。時刻表と首っ引きで調べた結果、北港→台西→西螺の順なら俺の要求を満たすことが分かり、3月22日の朝は斗六駅前6:15発の北港行き台西客運7123路に乗ることになった。「俺の要求」というのは西螺散歩を朝か夕方にしたいことと、各地の散歩タイムを最低2時間程度確保できることの2点。
ちなみに計画の段階では西螺一帯の宿が軒並み満室だったことを不思議に感じていたが、あとになって台湾屈指の大イベントである白沙屯媽祖進香(進香=巡礼)にぶち当たっていたからだと分かった。媽祖様は台湾で最も慕われている女神様で、その総本山である北港朝天宮には国内各地から多くの進香団体が訪れる。中でも苗栗県通霄鎮を起点とする白沙屯媽祖進香は最大規模のもので、事前に登録されている参加者だけでも18万人、沿道や経由地の見物客を含めれば100万人以上の人出となる。その進香が200km離れた北港へ到達したのが3月23日、つまりこれから紹介する北港猫散歩の翌日で、周辺の宿泊施設が予約でいっぱいだったのはもちろん、俺が泊まった斗六の駅前や街なかもテント泊のグループや野宿する人、あるいはそれらをサポートする人などで大変な混雑だった。俺はこのイベントの存在をまったく意識していなかったが、もし一日遅い3月19日夜に東京を出発していたら、瀬戸大橋の通行止めと媽祖進香のダブルパンチで旅程が崩壊していたはずだ。この雰囲気を上手く文章化するのは難しいが、日本で言えばお伊勢参りが盛んだった江戸時代に元旦のおはらい町で猫を探し回るような感じだろうか。
……というわけで本題の北港猫へ。翌23日は人で埋め尽くされることになる街なかはまだひっそりとしていて、ご飯待ちと思しき猫が玄関前に張り付いていた(前回の記事はこちら)。
時刻は7:51で散歩スタートから15分が経過。ご飯が出てくる気配はまだない。
古い空き家が並ぶ路地に入ると、侵入者を警戒する猫たちが様子を見に出てきた。
びっくり顔すぎて笑っちゃった。君たちは感情が顔に出すぎだよー。
食後の猫はまったりモードになっている。逃げられずに近寄れるかな。
「おお、日本人か! 先週も青森県の大間稲荷神社から進香が来たばかりだ。お前も楽しんで行くが良い」
しかし、屋根の上へ逃走。お腹がおめでたっぽいようにも見えるから、余計警戒しているのかな。
塀の上には三毛ちゃん。これはもしかして芋づる式にたくさん出てくるやつ?
ごろごろすりすりが止まらなくなったけど、曇って暗いので撮った写真はブレまくり。人懐っこい様子は動画をご覧ください。
屋根の上でも連鎖反応を起こしているね。下りてきたら一緒に撫でるのに。
大丈夫じゃ肯定なのか否定なのか分かんねんだよと一人ごちる俺を遠くから眺めているのもいた。
この子は個性的な顔立ちで、無尾に近いボブテイルが可愛らしい。所沢の子や武蔵なんかを見比べると、同じ毛色の猫でもずいぶん顔立ちや体つきが違うものだと今さらながら驚く。
そしてここは予想通り芋づるの路地。先ほど茶トラが乗っかっていたスクーターにはいつの間にかサビがいて、俺たちの様子を眺めている。この続きはまた後日!