今日は今月最後の日勤だった。寒いのさえ我慢すれば早朝の散歩も悪くないが、氷点下の散歩は血圧の上昇を伴うなど、真夏以上に体を蝕んでいる気がしていて、中年のオッサンにはかなりリスクの高い行為ではないかと思うようになった。ちょうど台湾猫散歩の最終回が残っていることでもあるし、今日は散歩をお休みして、屏東で会った猫たちの続きを紹介する(前回はこちら)。何しろ統計的には俺の年代の男は10年以内に5%が死ぬんである。
帰国日となった1月11日の屏東は快晴で、本来は青空が広がるところ、高濃度のPM2.5が飛来したため街は霞んでいた。南国だけに最高気温は27.5℃まで上がり、台湾都市部のそもそもの空気の悪さも相俟って、次に予定していた高雄市内の散歩はしんどい気がしていた。先に結果を書いてしまうと、正午すぎまで屏東の市街地を歩き回ったあと、軽く偏頭痛を感じたまま区間車(普通列車)に乗り、高雄市左營へ移動。念のため駅舎から出て外を見たら、ますます霞んでまったく美しくなかったため、そのまま高鉄(新幹線)で台北へ向かうことにした。つまり、このたびの猫旅は、ここ屏東で終わりを迎えることになったのだった。
軽便鉄道の廃線跡で茶トラに会ったあとは、気温が上がったせいか、しばらく猫影が失せた。屏東は想像以上に都会で、日中でも猫がまったりできるような路地がなかなか見つからず、次の猫に行き会ったのは40分後。帆布で覆われた車庫の向こうで、平らになっているのが見えた。
正面に回ったら、ちょこんとしていた。どうやら鳥を狙っていて逃げられたようだ。
向こう側は幹線道路と青い空。霞んではいるが、今までの台湾旅行で最も晴れた。
とある路地に迷い込むと、奥の方から2匹の猫がこちらを眺めていた。
この子はレッドが混じっているから二毛だね。お母さん猫なのか、おっぱいが目立っていたが、子猫の姿は見えなかった。
指の匂いで挨拶を試みたが、失敗。猫パンチ(爪あり)で拒否されてしまった。
洗濯物の下から鳴き声がして、見ると茶トラがとぼとぼと歩いていた。
車やスクーターの行き交う大通りで、下手に逃げられては危ないので、お互いに硬直しながらの撮影。
屏東は茶系の猫が多いんだな。茶トラや茶トラ白の遺伝子型はOOかOY、二毛はヘテロのOoなわけで、特にO遺伝子の濃い街なのかも知れない。屏東が拓かれたのは17世紀後半だそうで、福建省から渡ってきた漢人により開墾されたというから、屏東の猫も、福建省出身の茶トラがルーツだったりするかも知れない。
帰国日のこの日は朝の枋寮と合わせて14kmほど歩き、暑いのと頭が痛いのとで辛くなってきた。老街市場で買った甘いパイナップルを最後に、胃袋が食べものを受け付けなくなり、次の食事は羽田行きの機上の人となってからだった。
新左營行きの区間車が発車するのは12:21。2時間の散歩を終えて駅に戻ると、駅前の小さな公園に猫が佇んでいた。今回の台湾猫旅はこの子が最後かな。
もう1匹いるんじゃん。やっぱりどちらもO遺伝子持ってるねー。
二毛の方はクラシックタビー。面倒を見てくれる人がいるのか、この街で見た中ではいい体格だ。
君たちは鄭成功と一緒に福建省から渡って来た末裔なの? だったら英雄なんだから霊廟建ててもらわないとね。
新左營では高鉄の発車まで2時間ほどあったが、すでに動く気力は残っておらず、駅のベンチでずっと寝ていた。台北行きを前倒ししても良かったが、切符は事前に買ってあり、別の列車に乗るなら一旦払い戻さなければならない。高雄で寝るか台北で寝るかの違いでしかないから、体調不良を押して窓口に並ぶ理由はなかった。
左營発車は14:55。最高速度300km/hでぶっ飛ばす高鉄に乗れば台北はあっという間で、1時間半後の16時半には台北駅のホームに降り立っていた。初日の雨と帰国日のPM2.5がなければ、2泊3日で100匹を達成できたかも知れないが、旅というのは人生と同じでままならないものなのだよなあ。
猫に会うためだけに台湾へ行くのは、たぶん次回が最後になると思う。今回雨で見送った基隆をはじめ、見知った猫のいる瑞芳や、沿線風景が魅力的な平溪線、南国情緒あふれる台南の老街など、今から行き先が絞れなくて、1週間ぐらい帰ってこられないような気がしている。まあ最後となれば気の済むまで滞在するけれども。