外を歩いていたら屋根からどかんと音がして、びっくりして飛び退いたら柿が落ちた音だった、なんてことはよくあるが、台湾で落ちてくるのはそんな生易しいものではなくココナツ、つまり椰子の実だ。
俺の育った北海道では、冬の登下校時、絶対に軒下を歩くなと口を酸っぱくして言われたものだった。屋根に積もった雪は下層部が氷になっていて、落雪の直撃を受けたら高い確率で死ぬからだ。それと同様に、台湾の学校では、絶対に椰子の木の下を歩くなと指導していると思うのだがどうか。
今日の記事は台湾猫散歩の8回目(前回はこちら)。早くも帰国日となった1月11日、そこいら中に椰子の木が生えていて、猫探しも命がけな街・枋寮で出会った19匹の続きを紹介していく。
再びやって来たのは海岸通り。漁港に猫が付き物なのは日本も台湾も変わらないらしく、ぽつりぽつりと出てきては、自分の陣地に座っている。やや雲は多いものの青空が見えていて、このまま行くと日中はかなり暑くなりそうだった。
人懐っこくはなさそうだな。たまには尻尾ぴーんで突進してくるような子に会いたいんですけど。
築港に差しかかってさらに歩いていると、椅子の上で寛ぐ猫に遭遇した。
こんにちはー。お寛ぎのところ恐縮ですが、写真を撮らせてくださいな。
近寄ってみると、めっちゃ人懐っこい子だった。にゃあにゃあ鳴きながら足元から離れようとせず、却って写真が撮れなくなったため動画に切り替えたが、それも足に絡みつくだけの単調な絵になってしまった(こちら)。こういう時は遊ぶに限る。
20分ほどかけて遊び倒したあと、その場を立ち去ろうとすると、もう行くのとでも言いたげな丸い目で、ずっとこちらを見つめていた。きっと再び来ることのない場所で、こんな風に見られると、後ろ髪を引かれてしまってとても辛い。
ところでこの黒白に出会ったころ、遠くの建物や椰子の木がずいぶん霞んで見えるようになっていた。天気はいいはずなのに街全体が白んでいて、最初は薄雲がかかっていると思っていたのだが、スマホの台湾版気象情報を見たら、原因はPM2.5だったことが分かった。この日、経由地の屏東や高雄では、飛散量が93~99µg/m³という高い値を記録した。ニュースなどで紹介される「ひどい有様の北京」が数百~1,000μg/m³以上だそうで、それに比べれば小さな数値だが、日本や台湾では不要不急の外出を避ける最高警戒レベルだ(両国とも環境基準値は70μg/m³以下)。台湾ではPM2.5による大気汚染が深刻だそうで、人懐っこい黒白と殊更に別れ難かったのは、このような環境を不憫に感じたからでもある。
次の目的地、屏東へ出発する時間が近づいていた。枋寮最後の猫は、海沿いの民家で見かけた麦わら。
お腹の辺りがおめでたに見えなくもなく、それが理由かどうか知らないが、俺には冷淡であった。
9:11発の自強号で屏東へ向かう。三度の台湾旅行で交通トラブルに巻き込まれた経験はなく、列車もバスも航空機もほぼ定時で運行してくれるので旅は順調だ。駅の電光掲示板を見れば、定時なら「準點」、遅れていれば「晩1分」などと1分単位で表示してくれるのでとても助かる。毎日当たり前のように遅れてきて通知もしないどこかのJRナントカに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいものだ。
かつて屏東には台湾糖業公司の大きな工場があり、街なかには原料のサトウキビを運び込むための軽便鉄道が敷かれていた。製糖業の斜陽化に伴い、工場は1994年に閉鎖されたが、軽便鉄道の廃線跡の一部は道路に転用されていて、レールや鉄橋の残る場所もある。鉄道好きには割と有名で、昔から名前だけは知っている街だったので、この機会に線路と猫でも探そうと思い、寄り道したのだった。
で、目論見通りに猫発見。トタン板で仕切られた部分が廃線跡。そのたもとに猫。
立派なものが遠心力でぶらんぶらんするほどのスピードで逃走。揺れる想い。
絶望的な表情でこちらを振り向く茶トラ。やっと二人きりになれたね。
PM2.5でいよいよ霞む屏東散歩は最終回へと続く。