長いこと俺は徳冨蘆花という作家を知らず、実家の書庫にあった古い文學界(という雑誌)でその名を見たのは社会人になってからだと思う。なぜそんなことを思い出したのかというと、父親にその話をした時、蘆花を「りょか」と誤って読んで赤っ恥をかいたからだ。芦花公園という駅の存在は東京に来てから知ったが、蘆という漢字が芦の旧字体ということも知らず、近所に芦の生える公園でもあるのだろうと思って、そこが蘆花の晩年の住み処だったとは思いもしなかった。
今日の京王線猫行脚は、そんな知らないづくしの八幡山から芦花公園まで。この辺りの京王線の駅はどれも駅間距離が短く、この区間も700mしか離れていない。いくら創業期の京王電気軌道が路面電車だったにしても短すぎると思うのだが、東京郊外の急激な宅地化により、電鉄になったあとで駅を間引くタイミングを逸したのだろう。誰しも最寄り駅が遠くなることは望まない。駅が多すぎて各駅停車では時間がかかるため、京王電鉄では各種速達列車を用意して、なるべく多くの利用者の要求に応えようと考えた。その結果、各駅停車、快速、区間急行、急行、準特急、特急、そして京王ライナーというラインナップは、八方美人ここに極まれりという状態になっている。どの列車がどの駅に止まるのか、もはや沿線住民すら正確には把握していないだろうし、いっそのこと30種類ぐらいにしてギネスを目指してはどうか。
猫の方は前半がぼちぼちで後半はさっぱり。
1匹目は民家の裏の三毛。住宅が密集しているので逆サイドを狙えないのが辛い。
袈裟がけの鼻の傷が右下がりになっていることから、戦闘相手の左手で引っかかれたことが分かる。猫の利き手は性別に依存し、オスの場合は左手を使う傾向があるそうだ。
同じアパートの裏手にも1匹。猫密度が高いから戦いも起こるわけだな。
路地のはるか向こうを猫が横断したので、急ぎ足でやって来た。何とか追いついたみたい。
背後の皿はこの子には大きすぎるような気がしている。なお、正面の毛色からキジトラに分類したが、背中の赤さからすると二毛かも知れない。
実はこの子、2012年10月にも一度会っている。今日は飼い主の爺さんが庭に出ていたので、当時の写真を見せたら喜んでいた。名前はナナちゃんというそうだ。
猫の方は盛況とは行かなかったが、せっかく来たので蘆花恒春園にも足を延ばしてみた。園内の記念館には徳冨蘆花が描いたという猫の母子の素描画が展示してあって、俺はこの子たちの子孫に会えたのかなあなどと想像を巡らせた。そしてまた、果たして俺が毎日会っている猫たちの子孫を120年後の人々が撫でることはあるのだろうか。