北海道出身の父が「なにしてけつかる」という言葉を使うのは、開拓時代に入植してきた関西の人たちから伝播したのだろうと昨日の記事に書いたが、もしかしたらそうではないかも知れない。というのも、父は夕張の炭住育ちで、全国各地から集まった炭鉱夫やその家族と交流があったからだ。その中には大阪出身者もいたであろうし、そちらから言葉遣いの影響を受けた可能性もある。様々な言葉を話す人たちに囲まれて育ったせいか、父には訛りがほとんどなかった。
ちなみに炭鉱夫だった祖父は青森県津軽の出身で、そうした「他所の言葉」を一切使わなかった。あまりにも津軽訛りが強かったので、俺や妹は祖父が何を言っているのかさっぱり分からず、結局死ぬまでほとんど意思の疎通が図れなかった。函館近郊の漁師の娘と付き合っていた弟だけは、祖父の言葉を比較的理解して可愛がられていた。津軽弁ほど難解ではないものの、函館沿岸部に住む人々の言葉にもかなり強い訛りがあり、語彙やイントネーションは青森の言葉と共通点が多いのである。
まあそんなことはどうでもいいんだが、今日の猫散歩は南武線の西国立からモノレールの柴崎体育館まで。夜勤前だったが25℃を少し超えるぐらいの気温で、それほど汗もかかずに5.5kmの道のりを歩くことができた。
1匹目は草むらでお昼寝中の黒白。まったく保護色にならない毛色なので、これはすぐに分かるね。
一方こちらは怒りんぼさんの路地に住むキジトラ。ごみ集積所の上で毛繕いしていた。
少し痩せたように見えるけど気のせいかな。6月はこんな感じだったけど、姿勢が違うから分かんない。
一通りセレモニーを済ませたあと、湿っぽい目のまま去って行った。
迷惑そうに目を細めている。君は割と感情が顔に出るタイプだね。
顔つきで分かるように懐いてはいないので、近寄りすぎると椅子から飛び降りてしまう。ごめんよ、もう行くよ……。
桜の猫民家から西に700m歩くとゆっくり邸に至る。フェンスに囲まれた庭にはいつもの白がいて、不審者(俺)の気配に身構えていた。
2匹ともハーネス付きなのは、どちらもFIV陽性だから。家の中では陰性の猫を飼っているので、やむを得ず分けて面倒を見ているとのこと。
次の猫は難易度が高いかな。俺の写真の傾向を知っている人はそうでもないかな。
ここらでたまに見かける銀三毛。この家は猫に優しい家なので安心して休めるはず。
最後に猫を見かけたのは、かつてアパートの建っていた広い空き地の片隅にて。
こちらに背中を向けているのは顔見知りの三毛。初めて会ったのは2012年3月に遡るが、いつまで経ってもまったく懐かない。
なので写真はこれが最後。この直後、車の下に潜ってしまって二度と出てこなかった。俺はここで犬のうんちを踏んづけてしまい、悲嘆に暮れて職場へ向かった。