今年の台湾猫旅は12月21日から5日間の予定で、中華航空223便/222便の予約も昨年暮れに済ませていたが、先日発表された11月〜12月のフライトスケジュールで正式に欠航が決まり、チケットは自動的にキャンセルされた。払い戻しは自分で申請しなければならず、方法が分からなかったので、今日の午後、同社の予約センターに電話して教えてもらった。とても親切なお姉さんだったので、渡航が可能になったら絶対にまた台湾へ行くとの決意を新たにした。
今日は一日だけのお休みで、妻とともに朝から出かけたので散歩はお休み。猫の方は先日の沖縄東北猫旅の初日から石垣編をお届けする(前回の記事はこちら)。旅のタイトルには「沖縄」という地名が入っているものの、今回の旅では沖縄本島に立ち寄ることなく、予定上は石垣島さえ素通りすることになっていた。そもそも俺は沖縄県自体が初めてで、若いころ全国津々浦々を旅して歩いたにもかかわらず、なぜ今まで残っていたのかというと、彼の地には鉄道がないからだ。俺は乗り鉄なのである(ゆいレールは鉄道ではなく軌道)。
それに俺は一人旅が好きなので、リア充だらけと思われる沖縄行きの飛行機に乗ることには抵抗があった。恋人と一緒に旅行したこともなくはないが、リゾート地を選ぶような性格ではないので、新中央航空で新潟から佐渡へ飛んだことはあっても、沖縄に食指が動くことはなかった。今回石垣経由で竹富島へ渡ったのは、単に台湾が近くて猫がたくさんいるからだ。
前置きはこれくらいにして時は9月29日。成田空港を20分近く遅発したピーチ航空535便は、見事な回復運転(?)により新石垣空港には10分早い14:20に到着した。気温は29℃ほどだが日差しは柔らかく、それほど暑さを感じないまま、石垣港離島ターミナル行きの直行バスに乗り換えた。週末や夏休みともなれば、たった1台では積み切れないだろうが、今はコロナで客が減っている上、平日でもあり、Go Toトラベルキャンペーンに東京が加わる直前でもあり、車内は立ち客が2〜3人出る程度だった。
竹富島行きの船は16:00発。石垣島は素通りする予定だったが、出航まで50分ほど時間があったので、コインロッカーにリュックを預けて近隣の飲食街を歩いてみた。猫は路地に入って数秒で発見した。
レストランの入口で香箱を組むキジ白。あまりにもすぐに見つけられたので拍子抜けしてしまった。
ワンは東京から来たマヤーしちゅっさー。ゆたくしうにげーさびら。
実は最初の写真には2匹写っている。カメラを構えている時はまったく気づかず、近寄ってのけぞったが、さらにこの写真にも2匹写っていることをあとで知ることになる。
コンクリート造りの建物が多い点や路地の匂いなど、雰囲気はやはり台湾にとても似ている。猫もいるから余計そう感じる。
道端でお昼寝していたのはクリームさん。D遺伝子が劣性のddで希釈されたのではなく、ティッピングで生え際が白く抜けたカメオシェードだと思う。
車の下のは恐らくキジ霜降り白。いきなり色んな毛色が現れたな。
気温はそれなりに高いが、日差しがないからか、猫たちは見えるところで寛いでいる。
南国らしいスリムな麦わら。おっぱいが張っていたのでお母さんかも知れない。
先ほど黒白がいた店にはもう1匹、黒いのも寝ていた。一回りして戻ってきて初めて気づいた。
死角にまだらの鉢割れもいた。南国の猫はどれも小顔で耳が大きい。
石垣はもともと台湾との繋がりが強いが、それはパイナップル生産などの産業的な面だけでなく、人類史的なレベルであることが証明されつつある。昨年行われた実験航海では、台東県の烏石鼻から黒潮を越えて与那国島まで丸木舟で到達することに成功。日本人の祖先が樺太や朝鮮半島とともに台湾から流入した可能性を示した。石垣の人々の浅黒く彫りの深い顔貌は、そのルーツが古代台湾にあることを想像させる。そのころイエネコはまだ家畜化していないとされているが、この子の特徴を見ると、当時すでに人類と一緒に拡散していたのではないかと思わされる。
少し離れたところでは、石垣美人と対峙していた黒白がこちらの様子を窺っていた。散歩はここで時間切れとなり、石垣で見かけた猫はこいつが最後になった。
石垣の空き時間は食事に充てるつもりだったが、竹富島の宿の夕食はとても量が多いと聞いていたので、お腹を空かせたまま猫を探したのはむしろ正解だった。猫には会えたし美味しい夕食も残さず食べられたからだ。もっとも、少しでもお金を落として行きたいとの思いで注文したビールは、大瓶1本を飲み切ることすらできなかったけれども。昔は大瓶を毎日6本は飲んでいたのに、今はすっかり下戸になってしまった。
次回からは竹富島で見かけた猫たちを3回に渡って紹介する予定。