16:06に久慈を発車した三陸鉄道・盛行きの気動車は、トンネルの多い山間を快調に南下していた。三陸を通る路線なのにあまり海が見えないのは、ここが1975年に開通した比較的新しい区間だからだ。直接の理由は津波の被害を避けるため、内陸を通るルートを選んだからだが、それを可能にしたのはトンネル建設技術の発展だ。古い鉄道路線のように地形に依存せず、山並みを長いトンネルでぶち抜くため、たまに海が見えたかと思えばまたトンネルそしてトンネル。小さな入り江には必ずと言っていいほど漁港があって、海岸に下りるのも困難な険しい地形に作るくらいだから、よほど水産資源が豊富なのだろう。島越には17:00に到着。ここはNHKの朝ドラ「あまちゃん」で、トンネルを出た大吉とユイが流失した線路を前に立ち尽くした場所だ。新しい島越駅はコンクリートに覆われた高い築堤の上にあり、防潮施設は未だ建設中だった。
列車はその後も何度か海沿いを走ったが、車窓の先には巨大な防潮堤が目立った。とりわけ立派だったのは田老の防潮堤で、1933年の昭和三陸津波で大きな被害を受けたことをきっかけに、1934年から32年がかりの大工事を経て完成したものだそうだ。しかし東日本大震災で田老に襲来した津波は波高15mに達し、10mの防潮堤はいとも簡単に破壊されてしまった。車窓からは新しいコンクリートも見えたが、そちらは14.7mに高さを増して建設中の新防潮堤だそうだ。
俺が三陸を訪れたのは、まさにこういうものを自分の目で見るためだったが、それから間もなくして日が暮れてしまい、宿泊地である宮古に到着したころには、すでに辺りは真っ暗になっていた。竹富島では猫と戯れていた時間だったのに、宮古はそれより1時間15分も早い17:15が日没なのだった。
この日は旅の最終夜で、普段はコンビニ弁当などで済ませてしまう俺も、この時ばかりは奮発して、駅近くの郷土料理店で豪華海鮮丼を食べた。マグロなんかはどこも同じだと思うが、ホヤを旨いと感じたのは何年ぶりだっただろう。
沖縄東北猫旅の最終日(10月2日)は宮古から。散歩を始める前に背中のリュックを預けるため、駅のコインロッカーへ向かっていると、小さな水路のほとりで猫がご飯を待っていた。
怪訝そうにこちらを見ている。東京から高級カリカリ持ってきたけど、沖縄でぜんぶ使っちゃったんだよ……。
ホテルで朝食を取ってからの出発だったため、ちょうど通勤通学時間にかかってしまい、人口5万人あまりの宮古の市街地は慌ただしい。猫は道路脇で朝日を浴びている。
きれいな毛色。谷保の美人サバトラを彷彿とさせるね。
歓楽街の外れの広い駐車場。猫が日なたぼっこしているのが分かるかな。
これはちょっと不思議な毛色。ティッピングが入っているのは間違いなさそうだから、シルバーシェードタビーかなあ。タグはまだらに分類しておく。
この場所は津波で床上浸水〜半壊程度の被害があったそうだが、こういうのがいるのだから、逃げおおせた猫もそれなりにいたのだろうな。
こちらは閉伊川左岸の低地に建つ住宅街。ここからやや下流の旧宮古市役所周辺は、防潮堤を乗り越えた津波により甚大な被害を受けたが、ここは閉伊川の堤防と三陸鉄道(当時はJR山田線)の築堤に守られたようだ。
宮古散歩で最後に見かけたのは、アパートの敷地でまったり中の茶トラ白。
さっきのキジ白は2011年には生まれていたかも知れないけど、こっちはまだ若そう。
三陸沿線の旅はこれでおしまい。宮古では約7.0km、1時間50分の散歩だった。
宮古9:26発の盛岡行き快速「リアス」は閉伊川に沿って北上山地を西進する。閉伊川の源流は区界峠という山中にあり、その名の通りここは宮古市と盛岡市の市境になっている。1輌あたり420PSという出力の気動車は、25‰の急勾配が続いて気息奄々という感じだったが、区界駅を通過して間もなくアイドリングに変わり、あとは終点の盛岡まで軽やかな走りになった。
盛岡から新幹線で東京へ向かえば一直線に帰宅できるところ、今回の猫旅ではぜひ寄りたい場所がもう一箇所ある。鉄道やバスで行くのも困難な僻地なので、新幹線を古川で降り、予約しておいたレンタカーに乗り換えて、田舎道を20分あまり南下したところで車を止めた。
ここは宮城県の里山に建つ、とある一軒農家。
私は旅の猫好きです。今日はここの地名に惹かれてやって来たのですよ。
実はここ、猫ノ森という地名で、付近には猫ノ森館という創築年不明の城址があるらしい。事前にネットで調べても情報がなく、現地の人に聞いてみようと思って来てみたわけだが、人間は不在のようでいくら呼んでも応答がなく、代わりに猫が出てきたという次第。
不在なら早々に辞去すべきところ、次々に猫が出てくるのでつい撮影してしまった。脱穀機が動いていたので、きっとどこかで稲刈りしているんだね。書き置きしていくから家の人によろしく伝えておいて。
宮城県黒川郡大衡村大森猫ノ森という住所を訪ね、まさかの猫たちに出会って今回の猫旅は幕を閉じた。猫ノ森をあとにしてからも、沿道を歩く何匹かの猫を見かけたので、農村の猫たちは今もネズミ番という大切な役割を担っているのだろう。レンタカーを仙台駅前で乗り捨てて、エスパルで㐂助の牛タンを買い込み、仙台〜大宮〜南浦和〜府中本町という経路で帰宅したのは19時半。我が家の2匹は初めて嗅ぐ牛タンの匂いに興味津々だった。
4日間の旅で出会った猫は52匹で、台湾猫旅のように100匹を超えるような勢いはなかったが、精神的にはだいぶリラックスして移動できた。何しろ旅先の人々と日本語でやり取りできるので、コンビニで請給我袋子などと慣れないことを言わずに済む。三陸鉄道の宮古〜盛に乗れなかったのと、宮古市内を2時間弱しか歩けなかったのが心残りなので、機会があればまた行って、アパートの茶トラ白を訪ねてみるつもりだ。