今回の伊豆諸島猫旅で感心したことの一つに、島々を行き来する船舶の操船技術がある。猫旅初日の21日、東京近海はベタ凪で、神津島へ向かう飛行機から眺める海原には白波がまったく見えなかった、たまに小さな白い点があると思えば、それは水面に浮かんで休む海鳥の群れだった。伊豆諸島航路は外洋であり、これほど穏やかなことも珍しいと思うが、離岸や着岸にすら気づかない操船は驚きだった。何しろ神津島~新島で利用した「フェリーあぜりあ」は総トン数495t、新島~式根島で利用した村営連絡船「にしき」などは69tと漁船並みの大きさだ。出発前は船酔いも覚悟していたのに、あまりの揺れなさに拍子抜けしたほどだった。聞けば伊豆諸島航路の船長は腕利き揃いなのだそうだ。
「フェリーあぜりあ」は滑るように洋上を進んだ。この船は伊豆半島の下田港を9:30に出港し、神津島、式根島、新島、利島の順に寄港して16:30に下田へ戻る(曜日によって逆回り)。神津島の多幸湾を定刻の12:10に出港したあと、途中の式根島に10分ほど停泊し、新島には数分遅れて16:35ごろ着岸した。神津島よりも雲って涼しいことを期待していたが、日差しも湿度もほとんど変わらない。神津島より救いなのは港から集落まで近いことで、距離にして1kmほどと目と鼻の先。地元の人と思しき親子連れが海で遊ぶ姿を横目で眺めつつ、10分ほど歩いている間、俺はバブル期の新島を思い出していた。1980年代末ごろ、夏休みの新島というと、東京近郊の若者(主に大学生)が集まるナンパ島として有名だった。竹芝桟橋から出る夜行のフェリーは出会いを求める人々で混雑し、新島到着後は言わずもがな、竹芝から乗船した段階でナンパするのもすでに手遅れと言われるほどだった。新島で知り合って結婚まで至ったカップルも少なくなかったはずだ。
しかし現在、そうした客を相手にしていたであろう施設はことごとく潰れ、新島特産のコーガ石(黒雲母流紋岩)で建てられた建物には廃墟が目立つ。コーガ石は軽くて耐火性に優れ、塩害にも強い建築材料だが、標準化が進んだ現代の低コスト資材には敵わないのかも知れない。
新島の最大集落は東海岸に面した本村地区で、神津島の集落よりも3倍ぐらい広い。猫探しもそれだけ難渋して、1匹目の黒を発見したのは散歩開始から1時間15分後のことだった。新島は特に猫島ということもなく、広く薄く分布しているものと思われた。
こちらに気づくと、なぜか近寄ってきた黒。いい子だね、おいでー。
目の前を素通りして、茂みを背にしてちょこなんと座った。しょうがないなあ、本土から持ってきた高級カリカリあげちゃうかー。
呼んだらものすごく眠そうに顔をもたげた。こんにちはー、観光客ですよー。
夕方が近づくにつれて日の翳ることが増え、辺りは急に暗くなってきた。猫にとってはこれからが活動時間帯。
黒白のあとを追ってみたものの、車の下に潜りかけていて進退窮まった。しかも草が顔に被ってる……。
少し角度を変えて何とかもう1枚。この直後、見えなくなるまで逃げてしまった。
秘奥義・かくれんぼの術を繰り出すと、こちらに興味を持ったらしく近寄ってきた。これはまさしく思う壺。
そしてついに路地まで出てきた。俺の秘奥義もだいぶ熟練したなあ。
2時間20分、7.5kmに渡る新島散歩は三毛ちゃんでおしまい。この日の散歩は朝の調布(7.0km)、午前の神津島(4.8km)と合わせ、全部で20km近くにもなった。ポケットにねじ込んだハンカチは汗でずぶ濡れだし、日差しにやられて腕が真っ赤に日焼けしている。16:20に新島を出港した村営連絡船はたった10分で式根島に着岸し、休む間もなく桟橋に放り出されたが、幸いここでは宿の人が迎えに来てくれることになっており、もうほとんど歩く必要はなかった。
最後に紹介するのはこの日お世話になった民宿の猫。チェックインして部屋に案内されると、当然のように入ってきて、ごろごろすりすり懐いてくれた。
こちらはアメちゃんという名のキジ白。この民宿では「公称」4匹の猫が暮らしているそうだが、夕食前に近くの温泉へ出かけたら、それどころではない夥しい数の猫を見かけた。徒歩数分の距離を行き来しただけで20匹近くいたと思う。
明日の散歩はどれだけの猫に会えるのだろうかと期待に胸を膨らませつつ、深い疲労のため20時ごろには泥のような眠りについた。次回は翌22日、式根島猫散歩で見かけた猫たちを紹介する。