先週金曜日から昨日にかけて会津方面へプチ旅に出かけてきた。会津というのは数年前までは行ったことも行こうと思ったこともない土地だったが、2019年の夏、妻とともに福島市山間部のとある猫温泉へ浸かりに行った時、単に新幹線で行ったのではつまらないという理由から、新宿から東武鉄道直通の特急「日光」に乗り、野岩鉄道と会津鉄道を経由して会津若松に出たのが始まりだった。西若松からスタートした猫探しは暑さのため2匹見つけただけで終わったが、温泉からの帰り道、借りたレンタカーを返しに会津若松へ戻った時にたくさんの猫と出会うことになった。今回の散歩では当時からのメンバーに再会できたので喜びもひとしおだったが、その一部始終を紹介する前に水上散歩の最終回をお届けしなければならない。水上もまたたくさんの猫に会えて楽しい土地だった(前回の記事はこちら)。
日付は2週間前の2月4日に遡る。この日、薄雲はかかっていたものの心配していたほどの寒さではなく、水上駅から上牧駅まで踏破すべく温泉街を抜けてさらに南下。恐らく雪の下に田んぼが埋まっているであろう農業集落へ向けて国道を歩いていると、景観に溶け込まない不自然な色合いの物体が目に入ってきた。街外れの三毛と別れてから40分が経過していた。
ほらいた。こういうところにいてくれちゃうんだから、やっぱり猫を探すのは徒歩に限るんだよなあ。
基本的に農村の猫は警戒心が強い印象だが、この子はこちらに興味があるみたい。近寄ったり離れたりするたびに距離を詰めてくる。
根気強く隠れんぼしてここまで接近に成功。しかしこの直後、我に返ったように逃げてしまった。俺の魔法はまだ弱い。
お土産屋さんと思しきお店の前に張り付いている。ここの看板猫かな。
この日の散歩で唯一、触らせてくれた子。人懐っこすぎてお澄まし写真しか撮れなかった……。
お土産屋さんは裏手の農家が経営しているらしく、そちらへ回ってみるとたくさんの猫影が見え隠れしていたが、広い敷地の奥ではどうにもならず断念。さらに先へ進むと今度は土蔵の裏で日に当たっているのを発見した。これはいよいよ農業集落の本領発揮かな。
ボス的貫禄の長毛が逃げてしまい、一回りして戻ると女ボス的貫禄の長毛がいたでござる。
市街地に比べると残雪は深いが、猫がぽつぽつと出歩いているのはむしろこちらの方。ネズミ番も冬は暇なのかしら。
2階に大きな引き戸の付く典型的な養蚕農家。単なる越屋根だけなら東京にも残っているが、採光や通風のためこのような引き戸を備えているのは初めて見た。かつて「おしら様」などと神格化されるほどの貴重品だった蚕は、完全に家畜化された昆虫なので自然環境下で生きることはできず、農家に住み着いたネズミに対してもまったくの無力。そんな蚕を外敵から守るために活躍したのが猫だった。明治維新以降、急速な近代化を遂げた日本の殖産興業の一つが輸出用生糸の生産であり、それによってもたらされた外貨が富国強兵政策を実現させ、欧米列強による侵略を防いだ。今も養蚕を続けている農家は皆無に近いだろうが、蚕を通じて国を繁栄に導いた猫たちに日本人はもっと感謝していいと思う。
少し引いてみるとこんな感じ。大屋根の棟上に越屋根も見えている。
水上駅をスタートしてから4時間50分に渡る散歩はそろそろ終盤。日が翳って寒くなってきたので、上牧まで歩き切ることはせず、途中のバス停からバスに乗って新幹線の上毛高原駅へ向こうことにした。
14kmも歩いてしなびたキュウリのようになった人間を猫が眺めている。
長い散歩でかなりくたびれたが、これほど人口希薄な土地を訪れることはほとんどなく、特に養蚕農家の壁に穿たれた猫穴を観察できたのは貴重な体験だった。恐らく養蚕の盛んな時代には多くの家にあのような穴があったのだろう。猫と日本人の長い歴史の一端が垣間見られたようで、この散歩はとりわけ印象深いものになった。