今日は思いがけずの休暇で喜んだものの、これといって何かするわけでもなく、だらだら過ごしただけで呆気なく終わってしまった。外に出なかったので天気も分からければ寒い暑いも分からない。散歩したい場所はあったがかなり距離の長いコースで、一日だけの休みでは疲れが取れないだろうと思って億劫になった。こんな調子ではあっという間に春が来て夏になるので、どうにかして気分転換を図らないと行きたい場所が片付かない。ここのところ気分が上がらなくて切実に困っている。
とりあえず今日のところは先日来紹介してきた会津猫旅の最終回を。もともと妻と一緒の猫温泉旅の経由地として何度か訪れていた会津若松だが、コロナ以降は温泉へ足が向かなくなり、ここ何年かはもっぱら一人旅の目的地になっている。猫温泉は知る人ぞ知るといった山中の一軒宿で、以前はオフシーズンの平日ならほぼ貸切状態で泊まれたが、今はSNSや口コミなどで広く知られるようになり、平日でも高い確率でほかの客とかち合う。普通の宿なら気にならない些細なことだが、1872年築という歴史的建築物だけに音や光が盛大に漏れるので、会話ひとつするにも気を遣うし、宿で暮らす猫たちも争奪戦になることが予想され、静けさを好む妻はあまり行きたがらなくなった。
前々回〜前回と紹介した猫駐車場の猫たちも、最初の出会いは今から5年近く前の2019年7月、二度目の猫温泉旅でのことだった。猫の5年というと人間の20年以上に相当するが、手厚く面倒を見ている人がいるようで、当時からの知り合いの何匹かは今も元気に暮らしている。今回が最後のつもりで訪れているので、そうした馴染の猫たちと別れる踏ん切りがつかず、発情した大白斑とサバトラの追いかけっこを何とはなしに眺めていると、車の後ろから新たなメンバーが現れた。
少し離れたところに落ち着いたのはポイント三毛。この子も2019年7月からの知り合い。
転がる姿も5年前とお変わりないようで何より。土壇場で出てきてくれて嬉しいな。
転がり終えて、ねぐらへ戻るポイントさん。もう会えないと思うけど元気でいてね。
入れ違いで出てきた灰白は今回が初めて。5m以内には近寄らせてもらえない。
手前のキジ白は人懐っこい三毛ちゃんにそっくりで、本人かと思って何度も見直したくらい。あの子に会えなかったのは今回唯一の心残りだった。
東京へ戻る高速バスは会津若松駅前を16:00に発車する。このあと行きつけのラーメン屋で昼食を取り、ほかにいくつか寄りたいところもあるので、名残惜しいがそろそろ先へ進まなければならない。ごろごろすりすりしてくれた猫たちと会うのもこれが最後と思うと立ち去りがたいが、時間は止まってくれないし、出会った者がいずれ別れることは宿命だ。俺はこのあとの人生でもさらにサチコと別れ、マコちゃんと別れ、いずれは妻とも別れなければならない。これはその予行練習なのだと、思いを立ち切るように見慣れた駐車場をあとにした。
朝のうちは冴えなかった天気も午後になると青空が広がり、車の往来の多い会津若松市内にも猫たちの姿がぽつぽつと見られるようになった。だいぶ警戒されているのは繁華街だけに仕方がない。
逃げかけたところを何とか宥めて様子見モードまで持ってきた。薄色二毛はもちろん初めて見る子だけど、さっきの駐車場から100mしか離れていないので、誰かの血縁関係者かも知れない。
一方通行の路地から交差点に差しかかると、信号待ちと思しき三毛に行き会った。よくよく見ると歩行者信号が右側(歩行者が歩く向き)にしか設置されていないけど、会津藩ってそんな合理主義だったっけ?
呼んだら近寄ってきた。交通量の多い場所なので、空き地に誘って少しだけ撫でた。
塀の上から覗くカメラのレンズを怪訝そうに眺めている。君は南向きのいい場所を知っているね。
6時間45分、17.4kmという長い散歩の最後に立ち寄ったのは、街外れのとある大きな神社。境内へ続く道をとぼとぼと歩いていると、枯れ野に建つ民家にぽつねんと座る猫の姿が見えてきた。
遠目にもカラーポイントと分かる独特な毛色。今回はそれほど見かけなかったけど、会津若松はカラーポイントの多い街で、この数年でたくさんのバリエーションに遭遇した(こちらやこちら、こちらなど)。立川や福生みたいに基地があったわけじゃないとはいえ、終戦の翌月には米軍の駐留地が設けられたというから、米兵が持ち込んで外飼いしたり、帰還時に置き去りにしたシャム猫が由来なのかも知れない。
短いようで長い1泊2日の会津猫旅はこうして終わった。記事を書いているこの時も、きっとあの大白斑は若いサバトラを追いかけ回し、いずれは本懐を遂げて、桜の咲くころにはちっこいのがにーにーと鳴き声を上げているかも知れない。それをこの目で見られないのは残念だが、俺の目の届くところでは2匹の家族が寝息を立てている。あちらの猫もこちらの猫も同じだけ愛らしくて尊く、一刹那と言うべき短い時間を大切にしなければならないことに変わりはない。