イエネコの野生型の毛色がキジトラであることは割と知られていると思う。祖先であるリビアヤマネコから受け継いだ毛色で、一本一本の毛はアグチパターンと呼ばれる黒と褐色の層で構成されている。名称の元になったアグチ(スペイン語でagutíと呼ばれるネズミの一種)をはじめ様々な野生哺乳類に広く見られる。キジトラの遺伝子型はww oo(oY) A- B- C- ii D- ssで、それ以外の毛色はこの遺伝子型のどこかが変異していることになる。
アグチパターンを司るのはA遺伝子座で、キジトラの遺伝子型は優性のA-。これが劣性のaaに変異すると黒い色素のユーメラニンしか生成されなくなり、結果的に毛色は真っ黒になる。これが黒猫。
前回の三宅島の記事に書いた「レア」な毛色であるチョコレートやシナモンは、黒猫のB遺伝子座の遺伝子型B-が劣性に変異することで発現する。劣性対立遺伝子はbとblがあり、最劣性のblへ向かうに従ってユーメラニンの生成量が減る。具体的にはbbまたはbblでチョコレートに、blblではシナモンに変わる。この場合、元になる黒い毛色は無地(solid)なので、チョコレートやシナモンに変わっても模様は生じない。
B遺伝子座の変異は無地の毛色だけでなく、アグチパターンの黒い部分にも影響する。つまり黒+褐色の層で構成されたアグチパターンが、B遺伝子座の遺伝子型によってチョコレート+赤褐色やシナモン+薄赤褐色に変わる。なので、先日紹介したチョコレート三毛のように、縞模様や渦巻、斑点、霜降りといった模様を維持したまま色だけが変化する。
さらに三宅島の猫をよく観察すると、灰色やクリームといった薄色の猫がかなり多いことに気づく。これは希釈遺伝子と呼ばれるD遺伝子座の働きで、この遺伝子型が劣性のddに変異すると色素の密度が低くなり、黒は灰色に、茶はクリームに毛色が薄まる。同様にチョコレートが薄まるとライラックに、シナモンが薄まるとフォーンに変わる。ライラック(lilac)はたぶん薄紫色の花の色に似ているからそう呼ばれているのだろうが、俺にはそうは見えないし、そもそも灰色をブルーと呼ぶ繁殖家の色彩感覚がよく分からない。フォーン(fawn)は幼い小鹿という意味で、その毛色から淡い黄褐色を意味するそうだ。チョコレート、ライラック、シナモン、フォーンは血統種ではそう珍しくない毛色だが、複数の劣性変異が条件になることから、自然交配で繁殖する外猫の世界で目にすることは極めて稀だ。俺自身も2011年7月に猫散歩を始めて以来、チョコレートは3匹、シナモン(推定)は1匹、フォーン(推定)は3匹しか遭遇していない。そのフォーン3匹のうち2匹が三宅島だったことから、この島にはほかにも珍しい毛色の猫がいるのではないかと思い、御蔵島への中継地として再訪したわけである。
前置きが長くなったが、それを踏まえて三宅散歩(というか御蔵島ギブアップ散歩)の最終回は今月26日、朝の坪田集落からスタート。
先に見つけた薄色三毛と対峙していたのは、やはり薄色のサバ白。三宅島は希釈遺伝子が多いでしょ?
向き合う三毛は兄妹かしら。実は去年の三宅散歩の最後に会った子なんだけど(こちら)、サバ白は初めて。
まあ薄色は劣性遺伝なのでホモ接合にならなきゃ発現しないけど、親がヘテロでも成立するし、毛色だけで家族関係を推し量ることは不可能。
フォーンさんのねぐらにも顔を出してみた。前日の夕方にも会っているけど、そうそう見られる毛色じゃないし、何しろこの子は人懐っこくてとても可愛い(動画あり)。
写真は色温度に影響されるから、毛色のサンプルとしては5000Kに近い晴天の日なたで撮りたかったけど、相手は猫だから仕方ない。フォーンという毛色はB遺伝子座が最劣性(blbl)で、かつD遺伝子座がddという二重の条件が必要で、特にblblという遺伝子型が自然交配で成立する確率は低いように思うので、もしかしたらこの毛色はライラックの可能性もあると考えている。ライラックならbbかbblだから、フォーンよりは条件が緩い。
こちらは警戒心が強く、一歩前へ出たら見えなくなるまで逃げてしまった。灰色というには薄赤茶けているし、あれもきっとフォーンなのだろうなあ。
ちなみに三宅島は2000年8月の火山噴火により全島避難が行われ、防災関係者だけが駐在する無人島に近い状態が4年5ヶ月も続いていた。避難時は犬や猫といったペット連れで船に乗ることができたが、ケージが用意できなかったり、避難先として指定された公営住宅や公団住宅(現在のUR)がペット不可だったりして、置き去りにされたのも相当数いたようだ。三宅島の全島避難は火山弾や火砕流そのものよりも、極めて高濃度な火山ガスが原因だったので、島に常駐する防災関係者は嗅いだことのないレベルの硫黄臭を嗅ぎ、何度も命の危険を感じたという。今回の猫旅で乗ったタクシーの運転手もそうした関係者の一人だったそうで、ある時は火山ガスでふらふらになった猫を見かけたと言っていた。全島避難で取り残された猫たちは、ある時はイタチや鳥を捕食し、ある時は防災関係者に餌をもらうなどして糊口を凌ぎ、わずかな数が生き延びたのだろう。三宅島に薄色が多いのは、数を減らしている中にd遺伝子を持つ猫がいたからなのかも知れない。
坪田10:12発のバスに乗り、次の散歩地である神着集落へ。今回は御蔵島を断念した分、三宅島でできるだけ多くの集落を見て回るつもりだが、何しろ三宅島は大きく、山手線の内側とほぼ同じ面積だ。徒歩は言うまでもなく、1日5本しかないバスを駆使しても全部回るのは難しく、今回の猫旅では坪田、阿古、神着、伊豆の4つが精一杯だった(どれも猫は見つけた)。大字としては伊ヶ谷と雄山が残ったわけだが、雄山は火口を取り囲む無住地帯なのでたぶん猫はいない。
1匹目は小さすぎて分かりにくいかな。
しょっぱい顔のキジ白は呼んでも動かない。もう27℃を超えているから日なたは暑いよね。俺はそれでも歩いているけどね……。
若いクリームも一度は近寄ってきたけど、思い直したかのように日陰に入ってしまった。
奥から出てきた2匹も薄色だ! これほど広範囲に広がっているなんてすごいな。
離島の集落というのは離れて分布していることが多いが、神着と伊豆の間はさほどの峠があるわけでもなく、距離も近いので最後に辛うじて立ち寄ることができた。伊豆集落で唯一の猫に遭遇したのは、電話で頼んだタクシーと落ち合うまであと15分、帰途につく新中央航空408便の搭乗締め切りまで35分というぎりぎりのタイミングだった。
気配で目を覚ました。めっちゃ急ぎ足だったから心臓が破裂するかと思ったけど、君に会えてほっとしたよー。
怪訝な表情の黒で今回の三宅散歩はおしまい。……で、御蔵島村と小笠原村を残して一応終わった東京都島嶼部猫散歩、まだ続く? 続かない?