6月17日という日付に覚えがあるような気がして、2日間考えあぐねていたが、今日になってようやく小学校の開校記念日だったことを思い出した。俺が通っていたのは北海道北斗市の上磯小学校というところで、1873(明治6)年開校の開智学校には敵わないものの、その5年後の1878(明治11)年に開校し、今年で創立142周年というとても長い歴史を持っている。
俺が通っていたころは、児童数が1,200人近くに膨れ上がって教室が不足し、明治から昭和期に建てられた校舎がフル活用されていた。中でも明治時代の校舎は古い上に照明や採光が貧弱で、陰鬱として暗く、職員室以上に近寄りたくないエリアの一つだった。この校舎はなぜか低学年に割り当てられていて、ご多分に漏れず怪談話などもあったので、怖くてトイレにも行けず、授業中に漏らしてしまう子が続出していた。そんな明治校舎にも長所はあって、それは石炭小屋が近いことだった。教室の暖房は石炭ストーブであり、その燃料を運ぶのは児童の仕事だったからだ。
その後、近隣に久根別小学校というのが新設され、旧来の上磯小学校も新校舎に移転したため、明治時代からの貴重な校舎は木っ端微塵に壊されてしまった。開智学校のように洋風建築だったら、保存されて国宝にでもなっていたかも知れないが、粗末な木造校舎にそのような待遇は望むべくもなく、今は北斗市役所の駐車場になっていて跡形もない。今、こうした時代の無名の建造物を見たければ、日本より台湾に行った方がいいかも知れない。
今日は一日中雨が降り続いて気温も上がらず、ワイシャツ一枚では寒かったので、散歩はお休みして一直線に帰宅した。猫の方は一昨日の京王線猫行脚(芦花公園→千歳烏山)の後半を紹介する(前半はこちら)。
芦花公園をスタートしてから1時間20分が経過。駅から遠く離れた住宅街の路地でいくつかの猫影に遭遇し、歩く速度を緩めて丹念に探してみると、すぐに次のが現れた。相変わらず天気が良くてコントラストが高いので、日陰にいるととても分かりにくい。
地面にいる時はやや貧相に見えたが、塀の上に乗ってみるとこれがなかなかカッコいい。猫の表情は七変化だ。
気配を感じてもと来た方を振り向くと、民家の門扉から黒が出てきてこちらを見ていた。さては隠れて俺をやり過ごそうとしていたな。
さすがにこれは分かりにくいかな。俺の猫写真に慣れた人なら探せるはず?
塀の隙間から失礼しますよーと写真を撮っていたら、ちょうど奧さんが出てきたので、挨拶してお庭に突入させてもらった。
奥からこちらを眺めていたのはボス的佇まいの黒白。頬を怪我しているそうで、保護して面倒を見ているとのこと。君は運が良かったね。
猫の性別判定が苦手な俺も、この子がメスであることは何となく分かる。細面の美人さん。
子猫たちはまだ少しキトゥンブルーが残っている。生後8週くらいかなあ。
通りかがりの民家の庭先に子猫の姿が見えて、ちょうど落ち葉かきに出ていた主人に許可をもらって中を覗いたら、そこには猫の大家族が暮らしていた。3匹の母猫と8匹ほどの子猫、そして関係性不明の成猫が何匹かいるそうだが、他所様の敷地でもあり、撮影できたのはその中のごく一部。
23区の果てまで来ると農耕地や寺社が増え、それに比例するように猫の姿も多く見られる。次回(千歳烏山→仙川)からはいよいよ多摩地区に入るが、この調子でたくさん会えるとありがたい。