今回の猫旅を思い立ったのはピーチ航空のセールがきっかけで、万一行けなくなっても痛くない値段だったので、6月のうちに往路の成田→石垣を先に予約した。しかしそれから波状攻撃のように押し寄せた緊急事態宣言や自粛の風潮により、石垣(というか竹富島)以外のスケジュール作成は二転三転してなかなか決まらなかった。
そもそもこの旅行は竹富島で1泊したあと、石垣から季節運航の中華航空125便で台湾桃園へ飛び、1日か2日かけて平溪線猫行脚をやっつけるつもりだった。ところがそのころ我が国では武漢からの贈り物が深刻化し、対する台湾は清浄国同然のレベルを維持し続けたので、両国間の往来が遮断されたまま、再開の見込みが立たなくなってしまった。
台湾の代わりに考えたのは、熊本県・阿蘇五岳の一つである根子岳を訪ねる旅で、あの険しい岩峰を登ることは無理にしても、麓の集落で猫を探すくらいはできるだろうと思っていた。根子岳はあの世へ旅だった猫たちの修験の場と伝えられていて、今まで死に別れたたくさんの猫たちを偲ぶいい機会になるはずだった。そのほかにも、子供のころからの憧れだったJR指宿枕崎線(鹿児島県)に乗って、終端の枕崎で猫を探すというプランも考えたが、7月に九州南部で豪雨被害が発生し、どの辺りがどの程度の被害なのかあまり報道もされず、行ってもいいのか見当がつかないのでどちらも諦めた。
8月1日になって沖縄県が緊急事態宣言を出したので、石垣行きのチケットは放棄することにして、能登半島と東北地方を掛け持ちするプランを一から作り直した。これは一昨年の「0泊2日の輪島猫散歩」で訪れた輪島市のほか、中能登町などのいくつかの街と三陸をハシゴするというものだった。能登の町並みはおしなべて端正で美しく、黒瓦が連なる様など北海道出身者の目にはとても新鮮に映る。輪島の猫の多さもほかの街とは一線を画すレベルであり、これでようやく最終決定だと思って安心していたところ、9月に入って沖縄県の緊急事態宣言が解除され、知事が「まっちょーいびーんどー」などと言い出した。そうなると今度は石垣行きのチケットが惜しくなり、竹富島を復活する代わりに能登を諦め、三陸とくっつけたというのが今回の旅程の経緯だ。長い前置きで大変申し訳ない。
この記事が公開される18時ごろは、俺は仙台から乗った新幹線で東京へ向かっているはずだ。今回は沖縄と東北をハシゴするという贅沢な旅だった割には、成田〜石垣のピーチ航空は数千円で買えたし、JR東日本や三陸鉄道は「大人の休日倶楽部パス」で乗り放題だったので、それほど多額の費用はかからなかった。Go Toトラベルキャンペーンは1泊分の宿泊費だけ適用になった。
猫旅最終日に紹介するのは先月27日の鶴見線散歩(前半はこちら)。最後に訪ねた終端駅は運転本数が極端に少なく、たまに来たと思った電車もすぐに折り返してしまう。
広い道路に出てみると、定位置に乗っかっているのが1匹。あれはきっとサビだと思う。
3月に来た時も同じ場所にいたからね。君だと思ったんだよ。
その後、9:25発の電車に乗って、再び最初の駅に戻ってきた。朝は黒が1匹だけだった線路では、数匹の猫が思い思いに休んでいた。
この子は黒のようだけど、金色風に毛が光っていて、ティッピングもあるようだ。ゴールデンスモークというやつかしら。
こちらに気づくと一斉に近寄ってきた。よくよく見ればどれも知った顔。
こんな水も流れていないような埋め立て地で、みんな元気に暮らしているなんてすごいね。世の中には親切な人がいるものだね。
そうこうしているうちに、背後からもか細い猫の鳴き声が。気配を察した茶トラが道路に出てきた。
鼻黒も一歩前へ。穏やかに見える猫たちだが、侵入者には敏感だ。
茶トラもほかの2匹もケンカ腰ではない。こんな場所だから、助け合わなければやって行けないよな。
散歩を終えて帰ってきたのは12時半すぎ。自転車で自宅へ向かう道すがら、アパートの奥に茶色い猫影を認めて急ブレーキをかけた。
誰かと思ったら4月にも見かけた大きな茶トラ白。頻繁に通る道なのにあまり見かけないのは、普段は家の中で過ごしているからかも知れない。