二連休だった昨日と今日は食事当番の日でもあり、今日はカレーを作ることにしていたので、そのついでに猫に与える骨スープを試作してみた。骨付き肉を長時間煮込んで得られるスープが栄養満点なことは言うまでもないが、それを猫に飲ませるという発想は今まで持ったことがなく、ネットでとある猫飼いの手記を読んだことがきっかけになって調べた。作り方は骨付きの肉(今回は手羽元を使ったが、鶏以外の肉や魚でも骨付きなら何でも可)に水を加えて弱火で煮込むだけで、切ったり味見したりという面倒な作業は一切ない。我が家は冬の間反射式の石油ストーブを使っているので、普段乗せているやかんをどけて鍋をかけておけば、朝から煮込んで夜には自動的に完成している。箸で軽く触れるだけで骨から肉がほろほろと外れて行き、手羽元1個分は猫が食べるかどうかの実験用で、残りはカレーにぶち込んですでに人間の胃袋に収まっている。肝腎のスープはそのままでは味が濃すぎるので水で薄めて、猫(特にサチコ)が好むかどうか観察することにしているが、2匹ともグースカ寝ておりまだ結果は出ていない。
外猫の方は昨日の小田原散歩の続きから。日の長い時期なら始発に乗って6時すぎから散歩できるが、7時近くにならないとお日様が出てこないこの季節、そんなに頑張っても仕方がないので、今回は通勤通学時間帯を避け、9時ちょうどに早川駅をスタートしている。駅の周囲を1時間ほど歩き回り、次に向かったのは海辺だったが、あいにくそれまで燦々と降り注いでいた日差しが雲に遮られてしまった。しばらく待ってみたものの日差しは当分戻りそうになく、地元の猫たちはそんなことを気にする風もなく漁港の路地を行き来していた。
一通り撮影を終えたゴージャスさんがガラスの向こうに見えている。地面にもう1匹いる点に注意。
太陽がピンポイントで雲に隠れると、空の色が写真を真っ青にしてしまう。猫はたくさんいそうなのに残念だが、自然には逆らえないのでありのまま撮るほかない。
せっかくの出会いなので、できるだけきれいに記録したいんだよね。
地面の面々とうだうだやっている一部始終は、高みからちゃんとチェックされていた。この風格はやはりボスなのだろうなあ。
澄んだブルーアイと鼻の頭の戦歴がアンバランス。こいつに会えたことで、片道2時間の移動が報われたような気がした。
魚の干物を前にして冷静でいられるなんて、さすが漁港の猫だな。
猫を探して小田原を散歩するのは今回が3回目。歩いた距離はどれもそれほど変わらないが、1回目(2014年3月)や2回目(2018年2月)と違って、今回は漁港のあとしばらく猫影が途絶えることになった。以下に掲げる何枚かの写真のように、散発的に見かけることはたまにあっても、ちゃんと近くで観察できるレベルとなると、干物の見張りから1時間20分も待たなければならなかった。返す返すも太陽にまとわりついて離れない雲が恨めしかった。
こちらはこの日4匹目のゴージャスさん。
お堀に阻まれているけど、あの建物のテラスに行けば近寄れそう。
正午を過ぎてややお腹が空いてきたころ、とある細い路地に迷い込むと、奥の日なたに茶色いのが佇んでいた。
近寄ったら目が真ん丸。逃げられては敵わないので一旦引いてみよう。
ふがふがと俺の匂いを嗅ぐ茶トラ白。この路地には何となく見覚えがあり、自分のブログを検索して調べたところ、初めての小田原猫散歩だった2014年3月にも訪れていたことが分かった。当時はまだスマホを持たず、散歩する際は紙の地図を持ち歩いており、土地勘のない街でどういうコースを辿るかは出たとこ勝負だった。何年も経ってからそうした街を再訪して、何の気なしに歩いているうちに同じ路地に入り込むというようなことは、今までの猫散歩でも何度か経験しているが、これは本当に不思議な現象だと思う。個人の性格や嗜好によって、興味を引かれる地形や街並みに一定の傾向があるのだろうが、小田原のような規模の都市でそれが起こるとなると、何だか超常的な理由を疑いたくなってくる。加えて俺は、この茶トラ白との遭遇が8年ぶりの再会であることにも、まだ気づいていないのだった。
この続きはまた今度(こちら)。